【残酷な現実は生きる力になってくれないから】
年末年始くらいだったかな、とある芸能人さんの家族史ドキュメンタリーが放送していました。
読めばどの番組か、その方は誰か、わかると思うけど固有名詞を出すのははばかられるので出さずに書かせていただきます。
その方はお母さんが敗戦国、お父さんが戦勝国の人で、二人は敗戦国で出会って恋をしてやがて男の子(ドキュメンタリー番組のゲスト、主役)が産まれた。
お母さんは
「お父さんは、戦争にいって亡くなりました」
と息子に語り、生涯
「お父さんは誰もが振り返る美男子で優しくて、素晴らしい人だった」
と夫への賛美しか口にしなかったという。
敗戦国には当時、彼以外にもこういう
「戦勝国の兵士として敗戦国に入り、現地の女性と恋をして子まで成したけど帰国して音信普通になる」
人がたくさんいたらしい。
この番組を視聴したという人は大先輩世代も若い世代もはっきりとこう言った。
「人種差別だよ」
「敗戦国の女なんか人間じゃなかったんだよ」
「よくある話、悲しいけれど」
と。
実際、彼のお父さんとお母さんも結婚していたと語るわりには戸籍上は結婚してなかったらしく、彼は結婚してお子さんが産まれて、さらにお孫さんが産まれている現在までほとんど父親のことを知らなかった。
番組の力で戦勝国にいるお父さんの親族が見つかり、彼の伯母(父親の姉)は涙ながらに
「あなた達を想わなかった日はない、どうか会いにきてほしい」
と訴える。
そして彼は会いにいき、親族達はみな敗戦国の国旗を飾ったり、彼の代表作をちゃんと買って見たりして最高の敬意を持って迎えた。
彼と今は亡き彼のお母さん…弟が子を産ませた女性、に。
肝心のお父さんはどうなってたかというと、戦争では亡くならず生きて一人で帰国し、他の女性と結婚して、そして亡くなっていた。
お姉さん(彼からみて伯母)が
「泣いてる弟に妻子を迎えに行けと言わなかったし、あなたのお母さんが子どもと一緒にこの国に来たいと手紙が来ても、断った」
のは本人も語っていたけど…お父さんは迎えにこなかったし、妻子を捨てた。
それが事実だと私は思った。
半世紀以上の時がたち、伯母さんは謝りたいと、彼女と彼を敬意を持って一族に受け入れたいと変わっていたから現在ああしたのだろうけど…その過去は、事実。
この一連のやりとりを聞かされた、彼の娘さんが祖父を一度も
「おじいちゃん」
とも
「祖父」
とも語らず、フルネームになんの敬称もつけなかったこと。
そして静かに泣いていたこと。
そこに私は怒りと悲しみを感じ取ってしまって、胸が痛かった。
お祖母ちゃんは生涯、子を成した男を
「最高の人」
「私はあの人が大好き」
と言った。
葛藤を抱えながら戦勝国まで親族に会いにいったお父さんも、今は晴れやかな顔でお祖父ちゃんを語る。
でも、世代が変わり戦争も人種差別もかなり遠くなった孫(彼女)にはわかるのです。
事実が。
そこに込められている残酷な歴史が。
だから
「おじいちゃん」
って呼ばない。
名前に敬称もつけない。
これが彼女ができる、おばあちゃんとお父さんがやられた歴史への毅然とした態度なんだと思った。
選んでやっていると思ったし、それでいい。
私なんかが言う権利ないけど、そう思った。
とはいえ、そこまで愛した男性に人種差別されて捨てられたなんて、生きてるけど会いにこないなんて、そんな残酷な現実はおばあちゃんの生きる力になんてなってくれないわけです。
絶望しかないじゃない、そんなの。
だから思い込みだろうと空想だろうと
「私が愛した人は素晴らしい人で、今も私と子どもを愛してる」
ってしなきゃやっていけない。
生涯そうだったのだろう。
痛くてみじめなだけの事実は生きる力になってくれないから。
事実と違う思い込みの方がよっぽど自分を生かしてくれる。
だから事実を語らない。
彼はお母さんに比べれば物心ついた頃から事実がわかっていたでしょう。
語れないほど痛く辛かったはずだ。
でも今を生きる親族の敬意と優しさに触れて、父親はいい人だったってことにしてもいい、と考えたように私は受け取りました。
「お父さんと顔がそっくり」
と言われても最初は全然嬉しそうじゃなかったのに、親族に会いに行ったあとは
「似てるか?」
と幸せそうに娘さん達に聞くそうだから。
それでいいのでしょう。
…でも。
孫である彼女は綺麗な物語に出来ないはずだし、事実を事実として受け入れる…それが孫世代の役割なんだろうな、と思った。
歴史ってとても難しい。
歴史を作るのは心がある人間たちで、繰り返すけれど残酷な現実は人が生きていく力にならないからです。
彼らが生きて歴史を作っていくには時に事実より嘘が必要になる。
解釈違いなんてものじゃない、純粋な嘘が。
後世の人は距離がある分、事実を受け入れて認めていくんだな、そうしなきゃならないんだな…彼らの歴史を垣間見せてもらってそう考えたのです。
年末年始くらいだったかな、とある芸能人さんの家族史ドキュメンタリーが放送していました。
読めばどの番組か、その方は誰か、わかると思うけど固有名詞を出すのははばかられるので出さずに書かせていただきます。
その方はお母さんが敗戦国、お父さんが戦勝国の人で、二人は敗戦国で出会って恋をしてやがて男の子(ドキュメンタリー番組のゲスト、主役)が産まれた。
お母さんは
「お父さんは、戦争にいって亡くなりました」
と息子に語り、生涯
「お父さんは誰もが振り返る美男子で優しくて、素晴らしい人だった」
と夫への賛美しか口にしなかったという。
敗戦国には当時、彼以外にもこういう
「戦勝国の兵士として敗戦国に入り、現地の女性と恋をして子まで成したけど帰国して音信普通になる」
人がたくさんいたらしい。
この番組を視聴したという人は大先輩世代も若い世代もはっきりとこう言った。
「人種差別だよ」
「敗戦国の女なんか人間じゃなかったんだよ」
「よくある話、悲しいけれど」
と。
実際、彼のお父さんとお母さんも結婚していたと語るわりには戸籍上は結婚してなかったらしく、彼は結婚してお子さんが産まれて、さらにお孫さんが産まれている現在までほとんど父親のことを知らなかった。
番組の力で戦勝国にいるお父さんの親族が見つかり、彼の伯母(父親の姉)は涙ながらに
「あなた達を想わなかった日はない、どうか会いにきてほしい」
と訴える。
そして彼は会いにいき、親族達はみな敗戦国の国旗を飾ったり、彼の代表作をちゃんと買って見たりして最高の敬意を持って迎えた。
彼と今は亡き彼のお母さん…弟が子を産ませた女性、に。
肝心のお父さんはどうなってたかというと、戦争では亡くならず生きて一人で帰国し、他の女性と結婚して、そして亡くなっていた。
お姉さん(彼からみて伯母)が
「泣いてる弟に妻子を迎えに行けと言わなかったし、あなたのお母さんが子どもと一緒にこの国に来たいと手紙が来ても、断った」
のは本人も語っていたけど…お父さんは迎えにこなかったし、妻子を捨てた。
それが事実だと私は思った。
半世紀以上の時がたち、伯母さんは謝りたいと、彼女と彼を敬意を持って一族に受け入れたいと変わっていたから現在ああしたのだろうけど…その過去は、事実。
この一連のやりとりを聞かされた、彼の娘さんが祖父を一度も
「おじいちゃん」
とも
「祖父」
とも語らず、フルネームになんの敬称もつけなかったこと。
そして静かに泣いていたこと。
そこに私は怒りと悲しみを感じ取ってしまって、胸が痛かった。
お祖母ちゃんは生涯、子を成した男を
「最高の人」
「私はあの人が大好き」
と言った。
葛藤を抱えながら戦勝国まで親族に会いにいったお父さんも、今は晴れやかな顔でお祖父ちゃんを語る。
でも、世代が変わり戦争も人種差別もかなり遠くなった孫(彼女)にはわかるのです。
事実が。
そこに込められている残酷な歴史が。
だから
「おじいちゃん」
って呼ばない。
名前に敬称もつけない。
これが彼女ができる、おばあちゃんとお父さんがやられた歴史への毅然とした態度なんだと思った。
選んでやっていると思ったし、それでいい。
私なんかが言う権利ないけど、そう思った。
とはいえ、そこまで愛した男性に人種差別されて捨てられたなんて、生きてるけど会いにこないなんて、そんな残酷な現実はおばあちゃんの生きる力になんてなってくれないわけです。
絶望しかないじゃない、そんなの。
だから思い込みだろうと空想だろうと
「私が愛した人は素晴らしい人で、今も私と子どもを愛してる」
ってしなきゃやっていけない。
生涯そうだったのだろう。
痛くてみじめなだけの事実は生きる力になってくれないから。
事実と違う思い込みの方がよっぽど自分を生かしてくれる。
だから事実を語らない。
彼はお母さんに比べれば物心ついた頃から事実がわかっていたでしょう。
語れないほど痛く辛かったはずだ。
でも今を生きる親族の敬意と優しさに触れて、父親はいい人だったってことにしてもいい、と考えたように私は受け取りました。
「お父さんと顔がそっくり」
と言われても最初は全然嬉しそうじゃなかったのに、親族に会いに行ったあとは
「似てるか?」
と幸せそうに娘さん達に聞くそうだから。
それでいいのでしょう。
…でも。
孫である彼女は綺麗な物語に出来ないはずだし、事実を事実として受け入れる…それが孫世代の役割なんだろうな、と思った。
歴史ってとても難しい。
歴史を作るのは心がある人間たちで、繰り返すけれど残酷な現実は人が生きていく力にならないからです。
彼らが生きて歴史を作っていくには時に事実より嘘が必要になる。
解釈違いなんてものじゃない、純粋な嘘が。
後世の人は距離がある分、事実を受け入れて認めていくんだな、そうしなきゃならないんだな…彼らの歴史を垣間見せてもらってそう考えたのです。