題名 : 「旅」の話
-浦上四番崩れー
信徒発見140年記念出版
著者 : 浦川和三郎
初版 : 1938年(昭和13年)4月
再版 : 2005年(平成17年)3月
出版元 : カトリック浦上教会
[内容]
幕末に長崎に外国人のためのカトリック教会、大浦天主堂が建てられた。1865年その教会を訪れた浦上の人々がフランス人の司祭にカトリックの信徒であると打ち明けた。隠れキリシタンが姿を現したのである。そこから浦上四番崩れと言われる浦上キリシタンに対する弾圧が始まる。明治新政府が成立してからもキリシタン禁制は続き、1868年(慶応4年)名古屋以西の各藩に配流が決まり、1873年(明治6年)に信仰の自由が認められ自由放免になるまで5年間浦上信徒は全戸をあげて故郷から追放された。
この本は故郷に戻ってきた浦上の人々が語り継いできた「旅」の記録である。つまり、浦上四番崩れを体験者が語ったものである。
1.人数
流配者の総数(生児も含む) 3,589人
帰還者の総数 2,905人
不改心者 1,682人
改心者 1,022人
不改心&改心 201人
死亡者の総数 664人
逃亡者・残留者 20人
2.流配地
鹿児島・長州萩・津和野・広島・福山・岡山・姫路・松江・鳥取・徳島・高松・松山・土佐・和歌山・郡山と古市・伊賀上野・伊勢二本木・尾張名古屋・大聖寺・金沢・徳山
3.改心者の比率
改心者が1割前後以下の地域:伊賀上野・福山・金沢・
鹿児島・松山・郡山と古市・伊勢二本木・土佐・富山
改心者が半数からそれ以上の地域:鳥取・姫路・岡山・
広島・長州萩・和歌山・尾張名古屋・松江
全員改心し不改心に戻った地域:徳島・高松
4.地域の特徴
1)改心者が少ない地域
改宗者が全くでなかった地域や少ない地域は取扱いが寛大で待遇がよかった。食物も十分支給され、住む所もお寺や大きい庄屋の家などであり、農業や日雇い労働にも従事でき、現金収入を得ることもできた。改宗を勧める場合も拷問や食物を与えないといった手段は少なく、説得だけで済ます場合が多かった。預けられた土地の人の密かな応援もあった。流配時期が後半になるにつれ、出入りが自由になり、大阪の川口天主堂や神戸天主堂に宣教師を訪れることも多くなったが、役人は見て見ぬふりをしてくれた。
2)改心者の多い地域
改心者が多い地域では長崎に返してやると言われて一人が改心すると我も我もと改心した。中にはお預かり地に着く前から改心した人々もいた。長崎に返すという約束は守られなかったが、身柄が自由になり働いたり遊んだりできるようになった。そうした改心者のなかには不改心者を役人と一緒になって改心させようと必死になる者もでた。中には役人に鉄砲責めという拷問法を教える者まで現れた。不改心者たちは寒晒しといって雪の中に放置されたり、飲食を与えられなかったり病気の治療を受けられなかったりという拷問に責められた。何人かが頑張り通し、何人かは死亡した。改心者が不改心者を助け、ひそかに食事を与えたりして援助をした所もあった。
3)全員が改心してまた不改心に戻った地域
拷問に耐えかね、一度は全員改心した。しかし悩んで改心取消しを申し出た。が、チフスの蔓延で治療の必要から再度改心したりした。そうこうするうちに代表の何人かが神戸天主堂に行き宣教師に相談したうえで、再度改心を取消した。そしてこっそりと交代で神戸天主堂に出向き、秘蹟を授けられた。役人も見て見ぬふりをしていたようだ。
4)逃亡者
流配地から逃亡した者もわずかではあるが存在した。かれらが頼った先は大阪の川口天主堂と神戸天主堂の宣教師だった。中には宣教師の依頼を受けて長崎にもどり、鹿児島の信徒の様子を見に行く者もあった。
4)取締の側の対応
帰国が決まったときの役人の対応は罪滅ぼしと復讐を恐れる気持ちから放免を喜ぶ気持ちまで見て取れる。
次は、囚人並みの重労働を科し、食事も満足に与えなかった和歌山藩での最後のエピソードである。
「いよいよ帰国の途に上がると言う前日か前々日かには、一同を和歌浦へ案内して見物させ、盛んに馳走をした。長い長い虐待の罪滅ぼしをする考えであったらしい。3月2日、信徒は川船に乗って大阪へ渡った。翌日大きな汽船が入港した。東京役人が4名乗り込んでいる。彼等は口を極めて信徒の勇気を誉めた。改心者は自費でトボトボと徒歩きして帰ったものだ。それにお前等はこんな大きな汽船で4人の役人に送られる。天気も良し、郷里に帰っても肩身が広い。これとてもお前等の堅い堅い信仰の報いだよ、と言って彼等を嬉しがらせた。なお、途中の小使銭として、男子には金3分、女子には2分づつ与えた。」
[感想]
改宗を求める役人や、仏僧、神主、儒学者と信徒たちのやり取りがおもしろい。一対一では迫力の点で浦上信徒に負けてしまっている。
取調の側は立場だから改宗を求めているだけで、残酷なことをしたくないという感じが現れている。例えば、雪だるまになるまで頑張る乙女には、涙ながらにやめろと諭したり、命を蘇生させてからは一切改心の話を出さなくなる。ほかの不改心の女子にも改心の話をしなくなる。
また論争になると信徒たちは口達者でしばしば取調の側をやり込めて負けていない。改心しないなら処刑だと脅されると、天領の長崎の住民であるからこんな小藩で処刑されるはずがない、江戸の鈴ヶ森の処刑場で殺されるつもりで来ているから、すぐに江戸に連れて行けと言い返し、役人がうろたえる。また、お寺に預けられた子供がお寺の小僧に改心せよと言われ、改心するぐらいならここまで来ていないというと、小僧がそう言うように役人から言われていると打ち明ける。和尚との口論で「食べたら改心じゃ」と言われ「食べません」と1週間も断食した乙女に、和尚が頭を下げ食事をとらせる。
また時代が動いているというのを、キリシタン信徒も取調の側も感じている。いつまでもこの状態が続くとは思っていない。取調の役人のなかには不改心で頑張れとひそかに言ってくれる人もいたり、預けられた庄屋の中には実はと言って先祖代々のオラショを見せて隠れキリシタンであることを告白する人もいたり、役人の取調に同席してよく頑張ったと言ってくれる人もいたりする。浦上信徒と交流して自らキリシタンになる侍も何人も出てくる。外国人がかなり自由にキリシタンと面会し、それを記事にしたりしている。また、浦上信徒はカトリック教会との連絡を絶やさないように努め、情勢の変化を見守っている。
また長崎に戻ってから改心した人々が罪を懺悔してキリシタンに戻ったというのも浦上の人々の懐の深さを感じる話だ。
幕末を生きた民衆の生の声を聴くことができる本だ。
この本は長崎の浦上天主堂で購入したものである。