読書感想94 日本奥地紀行<o:p></o:p>
著者 イサベラ・バード<o:p></o:p>
生没年 1831年~1904年<o:p></o:p>
出身地 イギリス<o:p></o:p>
出版年 1880年(2巻本)<o:p></o:p>
1885年(1巻本、普及版)<o:p></o:p>
邦訳出版年 1973年(普及版)<o:p></o:p>
邦訳出版社 平凡社、東洋文庫<o:p></o:p>
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感想<o:p></o:p>
イギリスの旅行作家のイサベラ・バードによる明治初期の日本の東北、北海道の旅行記である。イサベラ・バードは幼い頃から病弱で医者から航海を勧められて世界各地の旅行を始めるようになり、初めて日本に来たのは1878年(明治11年)の5月だった。外国人がまだ足を踏み入れたことのない、日光から北の地方の旅行を計画した。十分な情報もないまま、日光から会津盆地、新潟、米沢平野、山形、久保田(秋田)、青森を経て、北海道に渡った。北海道では函館から苫小牧にかけての地域を訪ねた。6月10日に東京を出発し、9月17日に汽船で東京に戻る、3か月の冒険旅行だった。<o:p></o:p>
日本人である我々にとっても驚くような見聞が随所にある。<o:p></o:p>
時期が夏だったためかもしれないが、農村でも都会でも肉体労働する男が褌を付けただけの裸でいることだ。女も下半身は布で覆っていても上半身は裸だ。子供も裸。不衛生で貧しい農家が多く、囲炉裏の煙や行燈の煙で眼病を患う人が多い。浮浪者がおらず、貧しくても仕事をもっていて、姿も醜いけれど穏やかな人達。そして女の一人旅でも安全だと日本に住む外国人が口々に保証し、実際に言葉が通じない日本人がとても親切なこと。しかし一方では、初めて見る外国人女性だといって静かに何時間も見ていたり、ぞろぞろついてくる。しかも、宿屋にプライバシーがなく、夜中まで三味線の音や歌や話声が聞こえてくる。蚤が多く、寝るのも大変。食べ物がごはんと漬物と味噌汁ぐらいしかない地域が多く、著者の口に合わない。<o:p></o:p>
また各地の印象も綴っている。その中で、豊かな地域として米沢平野と久保田(秋田)を挙げている。米沢平野(置賜盆地)について「日本の花園の一つである。木立も多く、灌漑がよくなされ、豊かな町や村が多い。」と好意的である。<o:p></o:p>
上杉鷹山以来の努力を見るようで嬉しくなる。<o:p></o:p>
また、久保田(秋田)については、「非常に魅力的で純日本風な町である」。城下町特有の「死んでいるような、生きているような」様子はなく、繁栄している。そして外国の影響も感じられず、外国人もいない。しかし、立派な病院を日本人の医師たちが運営し、立派な師範学校があり、欧米の書物を理科の教科書に使っている。また絹織物工場では大勢の女工が働いている。<o:p></o:p>
教育県として名高い秋田は、昨日今日始まったのではないことがわかり、感心した。<o:p></o:p>
北海道に渡ってから、素晴しい風景の中を行く。海岸にはハマナス、青い海と良い香りのする森林、噴煙を上げる火山を見る。アイヌ人の家に泊まるが、ポスピタリティー溢れる人達。<o:p></o:p>
すごく驚いたのは日本人が住んでいる場所には必ずその倍以上の人数のアイヌ人が住んでいることだ。現在の北海道でアイヌ人に出会うことは稀だが、北海道はアイヌ人の国だったとわかる記述だ。<o:p></o:p>
従者として採用した伊藤とイサベラ・バードの関係もおもしろい。初めて会ったときに18歳の愚鈍に見える少年が嘘をついて信用ができないと感じてひどく嫌いになった。しかし、英語が上手なので採用する。旅の途中でも彼の態度は不愉快な時が多いとか、決して良い少年ではないと言いつつ、練習と熱心な勉強でどの通訳官よりもうまく話せるようになったとか、宿泊帳と運送張に几帳面に支出を記入したり、各地でその土地の戸数や商業の様子をノートに記したり、また酒は飲まず、言うことをきかないことは一度もなく、同じことを二度言う必要もなく、いつも私の声の聞こえる所にいるという真面目な務めぶりを語っている。それが旅の終わりに「とうとう今日は伊藤と別れたが、たいへん残念であった。彼は私に忠実に仕えてくれた。彼を通して私は、たいていの話題なら、他のいかなる外国人よりもずっと多くの情報を得ることができた。彼は、いつものように私の荷物をつめる、と言ってどうしてもきかず、私の身のまわりの品物をすべてきちんと片づけてくれたのだが、彼がいないと、もうすでに私は困ってしまっている。彼の利口さは驚くべきものがある。」となる。<o:p></o:p>
イサベラ・バードは日本人に裏切られることはなかったのだ。<o:p></o:p>
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