『そぞろ歩き韓国』から『四季折々』に 

東京近郊を散歩した折々の写真とたまに俳句。

翻訳 宇宙の橋を渡って12

2011-12-01 19:22:38 | 翻訳

 

本当に手に負えないし、うんざりするし、息苦しい歳月だった。自分が何者かということもわからず、また小説とは何かということもわからなかったからだ。今では僕は小説に追われず、小説とともに生きて行く。以前のように小説が「書くことの産物」だという考えも持たない。すべての小説は書くのではなく「作ることの産物」でなければならない。真っ赤な嘘で真実を追求して繕うけど、繕った跡が見えない秘密の方法はそこから出てくるのだ。<o:p></o:p>

 

 作家が間違って進めば雑家になる。小説家ではなく、饒舌家や毒舌家、あるいは与太者や下劣な者にもなりうる。いずれにしろ自分が始めたことは自分で始末をつけなければならないので、何が正しくてまた正しくないかは言えない。問題は結果ではなく過程だ。いずれにせよ人間の手で神の境地に達する小説は書けない。これが小説だと死ぬ前に断定的に言うこともできない。小説だけがそうなのではなく、おおよその世間の道理が同じなのだ。そんな意味で文学は「する」ものではなく全身で「生きる」ものだ。<o:p></o:p>

 

 作家が自分自身の中に引きこもる時、文学は作家の監獄になる。監獄に引きこもらないために作家は常に開かれていなければならない。自分の存在座標を認識して自分の現在位置を見定めなければならないのだ。僕は道徳君子になるために作家になるのではない。この世の中の特定の側の味方になるために、作家になるのでもない。僕の右肩には天使が座っていて、左肩には悪魔が座っている。もちろん僕はどちらの側でもない。必要に応じて悪魔に耳を傾けることもあるし、状況に応じて天使に耳を傾けることもある。そのために僕は常に悪魔と天使の境にいる。そこが作家という名前の演出家が留まらなければならない位置だ。必要であれば悪魔と天使にタンゴを踊らせたり、状況に応じては悪魔と天使にセックスさせたりもできる。それが図式的な世の中を飛び越える芸術的なやり方、僕が会得した小説家的な仕事のやり方だからだ。<o:p></o:p>

 

 僕は自分でなぜ文学をするのかわからない。また文学が何なのかについても断定的に話せない。それが明快であればはるか以前に文学をやめてしまったかもしれない。文学の本当の魅力はわからないながらも進んでも進んでも終わりがないところにある。もうすでにここまで歩いてきたので戻ることもできず、別の道を見出すこともできず、脇道に出ることもできない。ただ前に出て行かなければならない道があるだけなので、死ぬ日まで黙々とその道を行かなければならない。小説を通して人間と人生を探究する一生の作業・・・・日が暮れる頃、誰もいない野に鍬を一本持って立つ年を取った農夫の姿に、僕は人生の過程を充実して生きてきた職人の姿が浮かぶ。それが僕の晩年の姿になることを切実に願うからだ。<o:p></o:p>

 

 作家としての出直しを通して僕が得た一番大きな成果は、文学的な霊感を湧かせる主体としての「僕」に対する再発見だ。文に対する未熟な欲望を捨てることでもって、僕の妄想自我が消え、本来的な自我が現れたのだ。創造と創作を同時に具現する源としての「僕」-それを得た後で僕は創作と創造の関係についても新しい認識を得ることができた。創造の陰に創作があるのではなく、創造の基礎の上に創作が共に呼吸することができるのだ。<o:p></o:p>

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。