『そぞろ歩き韓国』から『四季折々』に 

東京近郊を散歩した折々の写真とたまに俳句。

翻訳  ノ・チャンソンとエバン(1)

2022-09-08 19:00:22 | 翻訳

ノ・チャンソンとエバン (1)

 

★★趣味のハングル勉強会で取り上げた短編小説の翻訳で営利目的はありません★★ 

★★日本でも「外は夏」の中の1篇として翻訳出版されています★★

 

著者   :    金愛爛(キム・エラン)

出身   :    韓国 仁川広域市

生年   :    1980年

性別   :    女性

受賞歴  :    李箱文学賞(2013年)

                 

 

 2年前チャンソンは父親を亡くして夏休みを迎えた。チャンソンの父親は路肩で事故に遭った。チャンソンは祖母から父親のトラックが転倒し父親と一緒に燃えたという話を聞いた。

 

 しばらく家に知らない人がやってきた。チャンソンは板の間に横たわってプラスチックのパトカーに触るふりをして大人たちの会話を盗み聞きした。横に首をねじる度にキィーキィー音を出す扇風機が「約款」や「故意」の「証拠」のような言葉を気だるく運んできた。家の外では蝉が鳴いた。訪問客の中の一人がチャンソンの父親が「偶然に亡くなったのではない」と言った。正確にそのように言ったのではないが、チャンソンはそのように理解した。保険金は一銭も出なかった。長く蒸し暑い夏だった。

 

 チャンソンはK市の高速道路の休憩所の近所に住んでいた。隣だと言ってみても、山裾にぽつりぽつりと位置する数軒の農家がすべての村だった。チャンソンの祖母は休憩所のフードコーナーで働いていた。給食がない休暇のたびにチャンソンは休憩所に立ち寄ってしょっちゅう食事を摂った。小学生の足で40分かけて到着した場所から、たった5分で食器を空にして再び家へ歩いて帰った。祖母はチャンソンに食事代兼お小遣いとして毎日2千ウォンずつくれた。天気が悪い日や、まっすぐ家に行くのが嫌な時、チャンソンは藤の木の下のベンチに腰掛けて観光客の真似をした。そうすると、自分もそこに立ち寄った人、ちょっと休む人、今ちょうど遠い所から帰ってきた人、あるいは出発する人になる気分になった。それで、時には何時間も腰を下ろしていたものだ。日中は蒸し暑く休暇は長く、その年の夏はなぜかすべてにうんざりしていたから。

 

 休憩所で月給をもらう前、チャンソンの祖母はパーキングエリアで何年間も珈琲を売っていた。路肩を拡張した形の駐車空間に移動式のトイレと錆びついた運動器具が置いてある所だった。連日の暴雨で道路に水しぶきが生じ、黄砂が目を塞いでも祖母はいつも同じ場所に座ってお客を待った。その時チャンソンは人生の大事な教訓をいくつか悟った。お金を稼ぐためには忍耐心が必要だということと、その忍耐が何かを間違いなく保証はしてくれないという点だった。チャンソンはそこで鳥の声と風の音、自動車の排気ガスと大人たちのあくびを糧にして育った。明るい真っ昼間、車の中で一斉に眠る人々はみな疲労に虐殺されたように見えた。あるいはパーキングエリア自体が自動車の墓地のようだった。チャンソンがわがままを言ったり大声で泣いたりすると、祖母は子供の唇に手を当てて厳しく言い聞かせた。当時チャンソンが悟った一番大事なことは、大きくなることでも遊ぶことでもなく、大人達を起こさないことだった。

 

 日が暮れる頃、地平線の向こうに果てしなく広がるアスファルトの上に赤い夕陽が広がると、祖母は自分で一日の労働を褒めたたえるように煙草を取り出してくわえた。うつむいて巧みに煙草に火を点けてから「主よ、私を許したまえ・・・・」と言った。

「お祖母ちゃん、許しって何?」

 アイスボックスキャリーの横で泥んこ遊びをしていたチャンソンが尋ねた。

「なかったことにしようということなの?」

 祖母は返事の代わりに頬を深くへこませて煙草を吸った。煙草の煙がたちの悪い噂のように、瞬く間に肺の中を掌握していく感じを満喫した。その噂を最初に流す人のように、少しの罪責感と楽しさを持ちながらだった。

「そうじゃないの、忘れてくれということなの?」

 チャンソンが催促すると、祖母は酷く痩せた指で煙草の灰を地面にこつんと叩き落しながら、ぶっきら棒に答えた。

「一度そのまま大目に見てくれということ。」

 

 夕方になる度に全員が庭の一角にある水道で体を洗った。手に石鹸の泡を十分にたてて首筋と耳の外側,鼻の穴の奥の煤煙を洗い落した。祖母はしみのできた顔にローションをぬりつけてから、大きい部屋に分厚い敷布団を2枚敷いた。それから掛布団の上に座ってその日稼いだお金を数えながら、まだ小学校にも入っていないチャンソンに尋ねた。

「お前、大学には行かないだろう? ね?」 

 チャンソンが布団の上に横たわってテレビアニメの主題歌を口ずさんで答えた。

「それが何?」

 祖母はチャンソンをじっと眺めて「そうだよね。」ととぼけた。

 

 田舎の夜は長く退屈だった。祖母は電気代を節約すると言って、夕暮から家のすべての灯を消して寝床に入った。チャンソンは祖母の鼾を聞きながら、瞼が重くなるまで天井を眺めた。そうするうちに、ある時とても退屈で暗闇の中で小さな手をもぞもぞさせて、無言歌を作った。親指をぴんと立てて、残りの指を二つずつくっつけて、自分の体から犬1匹を呼び出した。ドーベルマンやシェパードに似た番犬だった。

「こんな時、僕もスマートフォンがあったらいいのに。」

 チャンソンは、父が携帯電話の懐中電灯機能を利用して、天井に光を当てたことを思い出した。壁に映し出された犬の影はその光で作ったものだった。チャンソンが二組の指を広げてからすぼめて、犬が吠えるふりをした。灯がなく自分の影を持てない小さい犬がチャンソンの手首の下でしきりに音なく吠え続けた。

 

 一日、また一日過ぎた。塀の外の蛙の鳴き声は蝉に、またコオロギに変わった。祖母は時々チャンソンの頬に頬を寄せて「私の子犬」と言った。いつもスキンシップにけち臭い祖母の抱擁がぎこちなくうれしくチャンソンは曖昧に笑った。

「私の子犬、大きくなれ。早く大きくなってお祖母ちゃんに孝行しなくちゃ?」

 

 眠れない時、チャンソンは暗闇の中で何もない壁を眺めて、しょっちゅう雑念に落ちた。そんな時はいろいろ祖母が話してくれた「許しという言葉が浮かんだ。なかったことにできなくて、忘れることもできないことは、後でどのようになるのか。そんなことはすべてどこへいくのか。神はどうして祖母をしきりに大目に見るのか。2人が親しいのかと思って1年また1年が過ぎた。祖母はパーキングエリアから休憩所に職場を移した。チャンソンはさらにぐっと育ってどこでも泣かない少年になった。しかし、そうしていてもハンドルを持った父が亡くなった時、泣かざるをえない10歳になった。

 

 チャンソンがその犬と初めて会ったのは、父を亡くして1か月ぐらい過ぎてからだった。チャンソンは祖母が働く休憩所でその犬を見た。犬は男子洗面所の横の花壇の鉄柵につながれていた。いろいろな血が混じって正確に何種だと言うのが難しい小さく白い犬だった。

犬は四つ足でまっすぐ立ったまま、道路の先の1点を穴が開くほど凝視していた。まるでそうすれば自分に起きたことが理解できるかのように。鉄柵と犬の間のひもが切れるほどぴんと張っていた。チャンソンは犬をこっそり見つめてから、その前を何気なく通り過ぎた。そして祖母が働くフードコーナーへ昼食を食べに行った。

 

 同じ日の夕方、チャンソンは休憩所の中のファーストフード店で夏休み特価商品として出てきたジュニアセットを食べた。「1日に2回も休憩所に来ることはめったにないが、チャンソンに急に薬のお遣いをさせた祖母が気の毒がって、買ってくれたのだ。チャンソンはハンバーガーを全部食べてからコーラが入った紙コップを持って外へ出てきた。そして藤の木のベンチに行ってから、日中見た白い犬が依然として花壇につながれているのを見た。犬は午後の半日でとてもしょんぼりしていた。気品漂った姿勢で遠くを見ていた姿は跡形もなく、ふくれっ面をして耳と尾を垂らしたまま腹這いになっていた。黒い瞳の中には主人に向けた憎しみや恨みより「自分が何か間違ったのだろうか」という質問と自責が積もっていた。前にもチャンソンはそんな犬を見たことがあった。真夜中に路肩に捨てられて前の車を死に物狂いで追いかけて行った犬達だった。

「少なくとも車に轢かれて死ぬなとここに繋いでおいたみたいだ。」

 チャンソンは休憩所に残された犬達がどこへ行くのか知っていた。運が悪い場合どのようになるのかも。気の毒なことは気の毒だけれど、チャンソンはその犬も大人達の手に委ねるつもりだった。

「その前に、」

 チャンソンが舌を突き出したまま苦しく息をしている白い犬を見下ろした。

「水でもちょっとやろう。」

 チャンソンが犬から視線を離さないまま、コップに残ったコーラを最後まですうっとすすった。そしてプラスチックのふたとストローをくずかごに捨てて、コップに手を突っ込んだ。

「・・・・?」

 白い犬がまじまじとチャンソンを見上げた。こっそり警戒している様子だが、目に力がなかった。チャンソンが勇気を出して一歩踏み出した。白い犬がチャンソンの周りをくるっと回ってチャンソンの体の臭いを嗅いだ。そして何か決心したようにチャンソンの掌に鼻を当ててくんくんして舌を突き出して氷を舐めた。その瞬間、つぶれそうに柔らかく、冷たく、生温かく、くすぐったい、穏やかな何かがチャンソンをなでて通り過ぎて行った。生れて初めて感じる感覚だった。チャンソンが両目をぱちぱちさせた。やがて、犬が氷をぺろりと口に入れるとかさっと噛んだ。さくさくーさくー 清涼に氷がこなごなになる音がチャンソンの耳まで聞こえた。チャンソンが自分の掌をそっと見下ろした。氷は消えて手に薄い水の痕跡だけ残っていた。同時にチャンソンの内面にも奇妙な痕跡が生まれたが、チャンソンはそれが何かわからなかった。犬が白く長い睫毛を引き上げてチャンソンを眺めた。チャンソンが慌ててコップにもう一度指を入れた。2年前のことだった。


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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ノチャンソンとエバン1 (nishinayuu)
2022-09-09 17:50:12
とっても読みやすい訳になっていますね。続きを楽しみにしています。
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