『そぞろ歩き韓国』から『四季折々』に 

東京近郊を散歩した折々の写真とたまに俳句。

翻訳  朴ワンソの「裸木」39

2013-09-26 22:23:17 | 翻訳

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翻訳  朴ワンソの「裸木」39<o:p></o:p>

 

124頁4行目~125頁最終行<o:p></o:p>

 

 私はぼんやり路面電車の停留所に立っていた。電車はなかなか来てくれなかったけれど、待っている人々が増えることもなかった。火の神の前まででも乗って行きたいほど疲れていた。今日はほとんど2倍もドルを稼いだので、私はすっかりくたびれていた。<o:p></o:p>

 

 ふいに私は、疲れている部分が足ではなく口であることに気付いた。中学1年の英語の教科書程度の数少ない言葉の繰り返しで、夕方には舌がほとんど痙攣を起こすほどだった。<o:p></o:p>

 

How beautiful she is?<o:p></o:p>

 

Can I help you?<o:p></o:p>

 

 そうしてみると、私は今日一日母語を一度も話せないようだ。なにしろ今日は忙しく、ミスキも泰秀も訪ねてこないし、オクヒドさんには私が言葉を掛ける暇がなかったし。だしぬけに私は母語を話したくなった。さっきから電車を待っているのか、ただぼんやりしているのかわからない中年の男の横に行って静かに呟いた。<o:p></o:p>

 

「あなたの奥さんは本当に美しいですね?」<o:p></o:p>

 

「彼女の目は何色ですか?」<o:p></o:p>

 

 運よくその言葉はとても小さい呟きに終わった。どんなに小さくても今日口から出した最初の母語、しかしそれは母語だっただけで、決して私の言葉ではなかった。私の感じるもの、私の意志が盛り込まれた言葉を話さなくては、耐えられないほどだった。言葉ではなく、叫びでも身振りでも本当に自分を込めたかった。<o:p></o:p>

 

 中年の男が堂々と向こうへ行ってしまった。彼以外は、電車も来ず、電車を待つ人が増えも減りもしなかった。私はそわそわしていて、いつの間にか歩きはじめた。<o:p></o:p>

 

 米軍相手の土産物屋で少年がなぜか黒人を捕まえて、必死の努力をしていた。私は立ち止まって彼の悲しい英語を聞いた。<o:p></o:p>

 

Hellow, please come come look look. We have many many very nice present<o:p></o:p>

 

I dont have mony. You present ok?<o:p></o:p>

 

 少年は熱心につりあげてある真鍮の灰皿や煙草台を元の位置にどんと置くと、<o:p></o:p>

 

「犬の子」<o:p></o:p>

 

 痛快な母語だ。たちまち体の中がさっぱりした私は、ちびににっこり微笑して尋ねた。<o:p></o:p>

 

「今日はたくさん売れたの? ちびちゃん」<o:p></o:p>

 

 これが今日最初に私の意志がこもった母語だったのだ。私は、ちびの返事は待たずにぶらぶら、いろいろな店頭を覗き込んだ。<o:p></o:p>

 

 竹籠、煙草台、背負子、竹のざる、煩わしい刺繍が前後にあるジャンパー、色のあせた粗悪な生地のパジャマ、笠をかぶったおじいさん、肥桶をかつぐ農民の木彫…私たちのものだからと言って展示している物が、外国人、いや私にはかえって馴染みがなく情がわかない。売る物の枯渇、それでも売らなくては延命できない状態、そんなことがちょうど貧乏の状態なのだ。私はこれらの店頭を通り過ぎて、再び暗い曲がり角に立った。<o:p></o:p>

 

 そして力一杯駆けた。怖いと言う言い訳もまた一つの急ぐ理由になったのだ。私は玩具店のチンパンジーに会いたかった。その愉快な友達がウイスキーを注いで飲んでまた飲んでという狂的な暴飲から、次第に動作が遅くなって虚脱に戻る姿の前にいたかった。<o:p></o:p>

 

 相変わらず露店の玩具店は込んで見物人はほとんど大人だった。玩具が好きな大人が私だけではないので、少し安心した。<o:p></o:p>

 

 山と積まれた自動車、汽車、人形、飛行機、銃刀などをすべて排除して、ただお客の寵愛を独占しているチンパンジーという奴は、主人のためにお金を稼いでいるわけでもない。だからずうずうしい奴だ。

                                - 続 -

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四季折々163   彼岸花

2013-09-26 15:22:52 | まち歩き

秋になると、彼岸花があちこちに咲いている。なぜかお寺に似合う花。

彼岸花は曼珠沙華ともいう。曼珠沙華は「天上の花」という意味で、良いことがあるときに赤い花が降ってくるという仏典の謂れがあるそうだ。

彼岸花(曼珠沙華)の花言葉はたくさんある。

「情熱」「悲しい思い出」「独立」「再会」「あきらめ」

花を見るときの気分で様々な花言葉を選ぶことができる。

今日の花言葉は「再会」にしよう。1年ぶりの彼岸花だから。

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八王子市下柚木の永林寺の境内。

「墓参り 線香漂う 彼岸花」
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相模原市緑区川尻。コスモス畑に隣接。

「曼珠沙華 夏の名残を とどめおき」

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読書感想94   日本奥地紀行

2013-09-22 17:37:57 | 旅行記

 






読書感想94  日本奥地紀行<o:p></o:p>

 

著者    イサベラ・バード<o:p></o:p>

 

生没年   1831年~1904<o:p></o:p>

 

出身地   イギリス<o:p></o:p>

 

出版年   1880年(2巻本)<o:p></o:p>

 

      1885年(1巻本、普及版)<o:p></o:p>

 

邦訳出版年 1973年(普及版)<o:p></o:p>

 

邦訳出版社 平凡社、東洋文庫<o:p></o:p>

 

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感想<o:p></o:p>

 

 イギリスの旅行作家のイサベラ・バードによる明治初期の日本の東北、北海道の旅行記である。イサベラ・バードは幼い頃から病弱で医者から航海を勧められて世界各地の旅行を始めるようになり、初めて日本に来たのは1878年(明治11年)の5月だった。外国人がまだ足を踏み入れたことのない、日光から北の地方の旅行を計画した。十分な情報もないまま、日光から会津盆地、新潟、米沢平野、山形、久保田(秋田)、青森を経て、北海道に渡った。北海道では函館から苫小牧にかけての地域を訪ねた。610日に東京を出発し、917日に汽船で東京に戻る、3か月の冒険旅行だった。<o:p></o:p>

 

 日本人である我々にとっても驚くような見聞が随所にある。<o:p></o:p>

 

時期が夏だったためかもしれないが、農村でも都会でも肉体労働する男が褌を付けただけの裸でいることだ。女も下半身は布で覆っていても上半身は裸だ。子供も裸。不衛生で貧しい農家が多く、囲炉裏の煙や行燈の煙で眼病を患う人が多い。浮浪者がおらず、貧しくても仕事をもっていて、姿も醜いけれど穏やかな人達。そして女の一人旅でも安全だと日本に住む外国人が口々に保証し、実際に言葉が通じない日本人がとても親切なこと。しかし一方では、初めて見る外国人女性だといって静かに何時間も見ていたり、ぞろぞろついてくる。しかも、宿屋にプライバシーがなく、夜中まで三味線の音や歌や話声が聞こえてくる。蚤が多く、寝るのも大変。食べ物がごはんと漬物と味噌汁ぐらいしかない地域が多く、著者の口に合わない。<o:p></o:p>

 

また各地の印象も綴っている。その中で、豊かな地域として米沢平野と久保田(秋田)を挙げている。米沢平野(置賜盆地)について「日本の花園の一つである。木立も多く、灌漑がよくなされ、豊かな町や村が多い。」と好意的である。<o:p></o:p>

 

上杉鷹山以来の努力を見るようで嬉しくなる。<o:p></o:p>

 

また、久保田(秋田)については、「非常に魅力的で純日本風な町である」。城下町特有の「死んでいるような、生きているような」様子はなく、繁栄している。そして外国の影響も感じられず、外国人もいない。しかし、立派な病院を日本人の医師たちが運営し、立派な師範学校があり、欧米の書物を理科の教科書に使っている。また絹織物工場では大勢の女工が働いている。<o:p></o:p>

 

教育県として名高い秋田は、昨日今日始まったのではないことがわかり、感心した。<o:p></o:p>

 

北海道に渡ってから、素晴しい風景の中を行く。海岸にはハマナス、青い海と良い香りのする森林、噴煙を上げる火山を見る。アイヌ人の家に泊まるが、ポスピタリティー溢れる人達。<o:p></o:p>

 

すごく驚いたのは日本人が住んでいる場所には必ずその倍以上の人数のアイヌ人が住んでいることだ。現在の北海道でアイヌ人に出会うことは稀だが、北海道はアイヌ人の国だったとわかる記述だ。<o:p></o:p>

 

従者として採用した伊藤とイサベラ・バードの関係もおもしろい。初めて会ったときに18歳の愚鈍に見える少年が嘘をついて信用ができないと感じてひどく嫌いになった。しかし、英語が上手なので採用する。旅の途中でも彼の態度は不愉快な時が多いとか、決して良い少年ではないと言いつつ、練習と熱心な勉強でどの通訳官よりもうまく話せるようになったとか、宿泊帳と運送張に几帳面に支出を記入したり、各地でその土地の戸数や商業の様子をノートに記したり、また酒は飲まず、言うことをきかないことは一度もなく、同じことを二度言う必要もなく、いつも私の声の聞こえる所にいるという真面目な務めぶりを語っている。それが旅の終わりに「とうとう今日は伊藤と別れたが、たいへん残念であった。彼は私に忠実に仕えてくれた。彼を通して私は、たいていの話題なら、他のいかなる外国人よりもずっと多くの情報を得ることができた。彼は、いつものように私の荷物をつめる、と言ってどうしてもきかず、私の身のまわりの品物をすべてきちんと片づけてくれたのだが、彼がいないと、もうすでに私は困ってしまっている。彼の利口さは驚くべきものがある。」となる。<o:p></o:p>

 

イサベラ・バードは日本人に裏切られることはなかったのだ。<o:p></o:p>

 

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