12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
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ユリウス・カエサル11

2008年12月29日 09時18分36秒 | Weblog

 日本では生活支援・景気振興対策として、今年度末一人当たり?万円を国家が支給しようとしている。それで今回は、少し脱線して、ローマのユニークな制度だった「パンとサーカス(Panem et circenses)」を取り上げた。

BC5世紀頃に王政を倒し勝ち取ったローマの共和政は、本来は都市国家規模に適した制度だった。その上五百年を経て元老院による共和政は制度疲労(マンネンリ化と元老院議員たちの怠惰)も起こしていた。

 カエサルの頃には、ローマ帝国(厳密には共和国だが)は、地中海全域と北アフリカ・小アジア・ドナウ・ライン流域にまでの広大な地域を治め始めていた。

都市国家の統治に適した元老院共和政は、意思決定に時間を要し・元老院議員自身の利益が優先され必要な改革は停滞し、広大な帝国の政治に問題が発生していた。

ドイツの歴史家モムゼンは「ローマが生んだ唯一の創造的天才」とカエサルを評しているように、この優れた天才は、共和政から帝政にと改革を先導したのだった。

 ご承知のようにカエサルは不幸にして暗殺者の手にかかるのであるが、その前に遺言をしたため、18歳のオクタビアヌス(後の、ローマ初代皇帝アウグストウス)を自分の後継者に指名していた。

カエサル死後十数年にも及ぶローマ内戦の後、オクタビアヌスは33歳のときアントニウスとクレオパトラの軍を破り、ローマ初代皇帝アウグストウスとして新生ローマをスタートしたのであった。
(実質的に帝政を確立したのは、このアウグストウスであった)

カエサルの基本方針は「クレメンティア(寛容)」であり、アウグストウスのそれは「パスク(平和)」であった。この初代皇帝から「パスク・ロマーナ(ローマによる平和)」を目指した。

皇帝の責務の第一は、安全と食の保証であった。
「パンとサーカス(Panem et circenses)」は、後世の人たちがローマを批判するときに使用する常套句である。

ローマは食を国家から保証され働く必要がなく、国家提供の祭りや競技・闘技などの催し物で遊んで暮らしたという非難である。

 仮に親子五人家族{夫・妻・長男(10歳以上)・長女(10歳以上)・次男(10歳未満)}の場合、女と10歳未満の男の子は対象外なので、国から無償支給される小麦は、夫と長男の二人分、月に60kgとなる。

すなわち五人家族で一日あたり2kg約4000キロカロリーが支給された勘定である。少なくとも餓死しない最低限であったろう。二千年の昔に集団的な餓死が起きたという記録がないことから、有効に機能していたのであろう。

サーカスと呼ばれる民を楽しませる催し物や小麦の無償支給は、大切な有権者対策でもあったのだった。ローマでは、皇帝といえどもひとたび人気を失うと殺されるのが通例だったので、たとえ後世の歴史家たちに「パンとサーカス」と揶揄されようとも実に大切なことだった。

小麦の無料給付と祝祭日の催し物無料入場券は、受給者自らが出頭し、貧しい人たちと共に長い行列に並び、知り合いや知人たちの蔑視を浴びるという恥ずかしい目にあったり、

長い時間を無駄にするなどという幾つかの障害を設け、本当に必要とする人たちにのみ無料で小麦が届くよう、当局は妙案を持ち込み国家の財政均衡も図られたのであった。

日本での現金支給では、辞退の人がどの程度出るのか大変興味を持っているのである。
(しかし、小生は貧しい年金生活者である、決して辞退などするつもりはない)


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