台湾において「鄭成功」の果たした役割には大きいものがある。この祠は、台湾の民衆がこの民族の英雄を記念するために特に建てたもの。
正殿に、鄭成功が祀られている。
後殿には鄭成功の一族が祀られている。
(鄭成功の母親は日本人であることはよく知られており、彼は日本で生まれ、7歳まで日本で育ったといわれている。)
1662年に創建されたこの建物は、台湾でわずかに残る福州式の建築様式を今に伝えている。
台湾を占領していたオランダ人を追い出し、台湾を漢民族の土地とした鄭成功の功績をたたえ、鄭成功が1662年に38歳で死去したその年に、民衆によって廟が建てられ、鄭成功が祀られた。当時は「開山王廟」と名付けられていたという。
1875年には新しく福州式建築の祠が建てられた。日本が台湾を統治していた時代には開山神社と改称した時期もあったようであるが、終戦後、中華民国政府によって以前の祠が取り壊され、新しい様式の建物に建て替えられたという。