電車の中で、阿部謹也さんという当代のドイツ歴史家の新書を読む。題は「世間とは何か」つまらなそうな題名だがこういうのが私は好きである。世界と世間と社会とよく似たような概念だが、その差を追求するのは面白いし、阿部さんがそれを教えてくれた。そしてそれらがすこしずつ違うことを思い知るところとなった。実は、日本人の思想の中には、明治期まで個人という概念がないのだ。個人という言葉は明治維新以後西洋と付き合う際に、西洋人が盛んに使うので、「これは何だ?」と疑念を抱いた日本の知識人が言葉として個人という表現を発明したものだという。ちなみに社会という言葉も同様だ。これも江戸時代にはなかった。西周という哲学者が、西洋の本を読んでいたとき苦し紛れに社会という言葉をひねり出した。 . . . 本文を読む