毎朝の散歩は、自分の体力と脳力だけが頼りである。金銭を持たずに遠出するから、途中で挫折してもタクシー、電車は使わない。あらかじめ公衆トイレの場所は調べている。雨が降ればどこかに雨宿りし、雨が上がるのを待つ。時計のお世話にならない。天気の状況を読んで自分の勘に頼って歩く。家族が困るだろうから携帯だけは持つが。
30年前にボルネオに行き、熱帯雨林の中で、ネイティブと一緒に数週間を過ごした。川とも沼ともいえる自然の水道が縦横にありそこをモーターボートで走り回る、その水路ではカヌーに乗った人が物を運んだり漁業をしたりしていた。ほとんどの住民はスケジュールを書き込む手帳はおろか、時計を持っていなかった。 . . . 本文を読む
「私は太陽(昼)と月(夜)と、二つの天体の下で二倍の人生を満喫している」と伊豆に住み、数年前に物故した友人が口癖のように言っていた。どういう意味かと言えば、自分の周りから「要らない」ものを全部取り去って、必要なものだけを手元に置いて、横着に、「贅沢」に暮らす方法だ。以上の誂え(住宅)にはどれだけお金がかかったかと言えば、リタイヤ―後に古い農家の土地と家屋を居ぬきで買い取り彼と奥様で二人の城を作った。彼らにとって「要らない」ものの筆頭は、電化製品だった。冷蔵庫は小型、テレビはひところの黒白テレビ(もう使えないが)、電燈は裸電球がぶら下がっている。電球の傘を見て笑ってしまった。何と丸いざるが代用されていた。自動車、計算機(パソコンなど)、携帯電話も持たない。彼との連絡は常に彼からの一方的な電話、時々の手紙だけだった。彼はご子息のいる都内に、雑談相手なのかお酒の相手なのか知らないが、私に電話をしてきた。生活用品の買い物には数十分の毎日の散歩でまかなう。冷蔵庫が小さいので買いだめはしない。暖房や煮炊きはすべて囲炉裏を使い薪で賄う。ホームレスすれすれのあばら家生活だが、行ってみると大変リッチなのだ。「お酒は昼酒が一番」ととっておきの世界の銘酒がふるまわれる。庭に下りて竹を切って、竹筒に酒を満たして囲炉裏で温めるかっぽ酒がぜいたくすぎる。 . . . 本文を読む