一方ふだんはだらしないくらいに孫を愛し、しゃべり出したら止まらない快活な男だった。死後に家族親戚から思い出を語る心温まる追想録が送られてきた。題名は「痩せハッタギの93年」という。ハッタギとはキリギリスのことらしい。ハッタギが地上にいたこの93年はいつも好奇心溢れる青年であったと家族は言っている。
おじいちゃんは熱心なクリスチャンだった。ついでに奥様もクリスチャン。自然科学者として整然とした論理を築き、孫達にも科学について優しく話していたようだった。これは、アメリカの住む18歳の孫の、あきら君とのテレビ電話での録画だ。
あきら「神の存在を信じますか?」
おじいちゃん「神の存在というのはね、自然科学の扱うもんではなく人間の良心の問題だよ。神様なんて宇宙を探しても、お月さんを探してもそんなものはいないの。良心の問題。はい」
傍で聞いていたあきらの母「おじいちゃんには、神のような人はこの世にいないのね?」
おじいちゃん「全然いない。神様というのは1人ひとりの人間の頭の中の想像の産物だよ」
あきら「宇宙は神の力によって創造されたのでしょうか?」
おじいちゃん「宇宙は自然現象だから神様とは関係ない。人間が神様なんて言い出したはるかな大昔に宇宙は作られたのです」
あきら「宇宙を創造したエネルギーはどこから来たのですか?」
おじいちゃん「宇宙自身の持っていたエネルギーです。自然現象ですよ」
あきら「死後の世界、生まれ変わり、輪廻はあると思いますか?」
おじいちゃん「それはありません。先祖を大事にという気持が輪廻の考えになるのでしょう」
あきら「人間の魂はどこにあるのでしょう?」
おじいちゃん「人間の脳の中にあるのでしょう。ぼくは若い時は無神論者だった。でも26歳で洗礼を受けてキリスト教徒になった。それはね、神があると信じた方が人間は優しくなり、生きやすくなる、人生が楽しくなると思ったからね。」
おじいちゃんによると、戦争が終わり、マッカーサーが日本を復興させるために、ものすごい仕事をした、この仕事は日本を豊かに、幸せにするのだと思い、これはただごとではない、仏教ではなくキリスト教だからできるんだなと考えるようになったから、入信したと言う。
信じがたい軍国主義と他国を破壊する侵略戦争が自分も含めて正義だと思い込まされ、良心が麻痺していたと気づく。戦後に、「なぜだ、なぜだと煩悶していた多感な青年だったおじいちゃん。日本の再生は、神道や仏教でよりもキリスト教での方が良いのではないかと考えるようになったと言っていたのを思い出した。
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