ブラジルで拾った話(2000)
サンパウロの移民文化博物館に皇室関係の常設写真展示がある。100畳は超すホールに、戦後来泊した皇室のメンバーのブラジルでのスナップが大きなパネルで多数展示されていた。古くは三笠宮、現天皇の皇太子時代から至近まで数十年間の3回にわたる訪伯、浩宮、礼宮、紀宮の各1回の訪伯。つなげてみると戦後は2年に1回の割合で皇族が来泊し、日系社会とはかなり濃密な交流をしていることが窺われる。移民にとって皇室がいかに心の支えとなっているかの一端を垣間見ることが出来た。当地で色々な移民家族に会った印象では彼らはおおむね皇室への尊敬が非常に強い。これは皇室とブラジル移民の直接の交流の機会が、一般日本市民のそれと比べて著しく多いということ、特に現天皇と美智子さん(上品で控えめな日本女性の鏡のような印象)の人間性が強く影響しているのではないかと思った。ところで一般市民が皇室と関わるなんていうことは、東京人でもあまりないと思われる。正月に一般参賀があるが、これは遠くから見下ろされている形だから親近感がない。数年前、杉並区にかかる青梅街道であるお米屋さんが東北の農民とともに近所の消費者ビラを配り、店頭を飾って大売り出しを始めたところ、地元警察があたふたとやってきて、電柱にかかっている宣伝ののぼりを取り下げること、生産地の民謡を流すことや歩行者の呼び込みなどをやめるようにといった、つまり商売を自粛するようにといったとか。店主によると、理由は当日午後、立川の昭和天皇稜の墓参のため天皇夫婦が侍従を連れてここを通るので、安全の確保のため(本当は目障りだから?」)ということらしい。目隠しの車!で通り過ぎるだけの皇族やその子分たちのために、この日のために東北から高い旅費を使って上京し、杉並区民に米を宣伝する商売活動が抑圧される。「下に、下に」といって皇族が通る。警官が分厚く警護し、庶民の生き生きとした姿を皇室に見せないように手配する。そのため当日は交通が朝から規制される。われわれの年代になると、理性と感情がない交ぜになって、馬鹿げたタブー(皇室を庶民から遠ざけて神格的権威を守ろうとする動き)を嫌悪している。日本の若者は皇室についてはわれわれとも明らかに異なった感情(無関心)を持っている。君が代の国歌制定や日の丸の国旗化などでその筋のジャーナリズムが関心を盛り上げようとしているが、上記のような不条理があっても記事にはしない。いずれにせよ、ブラジルとは違い、皇室の風化(国民の精神的財産でなくなること)は確実に進んいると思われる。
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