この時代に入って、いまだに第二次世界大戦の絵のような空襲、侵攻、侵略がウクライナの治で行われている。非戦闘員、市民が逃げ場を失い、死に面している惨状だが、戦争の目的が分かりにくく、絶対悪だという人類の信念と平和への誓いがどこかに吹っ飛んでいる。これは大国間の資源獲得を巡る利害として今なお見られることなのかそれとも、民族、宗教をめぐる排斥、憎悪の延長なのか、わかりにくい。77年前の我が国の終戦を引き起こしたのは、まさに侵攻、空襲、その極端な姿としての原爆だった。今思い出してもその惨状は筆舌に尽くしがたい。ちなみに、いまだに高齢者が証言する東京大空襲の惨状は、現代日本人が忘却し、口に出すこともまれな事実であるが、これを数字的に把握しておくことは非常に大事なことである。
B29 による本土各都市の大空襲は日本人民をして戦争の真の姿を眼前に見て、戦争を聖戦として賛美しても絶対悪と映る惨状に他ならなかった。
この惨状をはっきりと記録し、後世に伝えることは日本人つぃて最も大切な後世への教訓である。
ルーズベルト大統領は、非武装都市の一般市民を空中から爆撃する非人道的野蛮行為を避けることを声明として出していた。それにもかかわらず、トルーマン大統領になってから、一方的に無視され全国の主要都市、地方都市には容赦のない爆撃が繰り返された。一番ひどかったのは45年3月10日の東京大空襲だった。市民の死者は推定10万人、負傷者ℍこの数倍に当たるだろう。家を失った人民は100万人、東京の40%が焼け野原になった。この惨状の上に二発の原爆である。これは、狂気という言葉すらかすんでしまうほどの、計画的悪魔づくり、理性的ジェノサイドと言わねばならないだろう。どうしてこのような始末になるのか、人類は未だに自分のことをわかろうとしない、そういう狂気を払しょくできないでいる
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます