「大初に言葉ありき」と聖書の冒頭に記されているが、言葉は造語で事の意味を隠したり、嘘を伝える手段にもなる。過去では、支配者は戦争を事変と言っていた。支那事変、満州事変の類だ。敗戦を終戦と言ってみたり、撤退を転進と言ってみたり、全滅を玉砕と表現したり。福島第一原発の炉心溶融(メルトダウン)も、事故でも事件でもなく「事象」だとか「事案」だとかという庶民が使わない言葉、中学生が理解できない言葉を駆使する。それを、迎合的なジャーナリストが、ノーチェックで看過している。
南スーダンの内戦も深刻だそうだが、これも、戦争でも戦闘でもなく【衝突】・・・小競り合い…だそうだ。もう隠しきれないので大事件になりかかっている。
最近気になる表現は抑止力だ。抑止力の強化という言い方をすれば目くじらを立てにくいが、原子爆弾を使いやすくする軍拡だと内容をわかりやすく言えば大事件となりかねない。「減反政策」というのがある。外国からどんどん輸入する(これを自由化という)ので水田を減らしましょう、農家は他の商売をしたら?という政策である。結果的に一つの県の面積ほどの国土を原始時代の荒ぶる自然にもどした。森の手入れもできなくなり、木材産業も滅び、人口が減り治水が困難になった。こんなことが日本人の大多数の理解と賛同を得られるわけはないが「減反」とか「自由化」いう奇妙な言葉で、本質が隠されてしまった。
今年は、明治150年。最近、中世の宗教書を研究している神学者の友人から和訳の難しさを教えていただいた。彼は、ヘブライ語、ギリシャ語、ペルシャ語などに関心があり、加えて英語、中国語、日本語の聖書の比較解読に務めている。
彼によれば、日本語は名詞を漢字で表すので、和訳は漢訳を経由している。このため二重訳で意味がゆがみ、複雑になりやすいという。この二重訳の間にエントロピー(ゴミ)がこびりついてきて、すっきりしない、妖しい概念にひっくり返ることがあるという。
明治以降、圧倒的な物質文明に接し、日本人に思考習慣がなかったことに、文明の名で漢字を当てはめたキーワードが作られ、それらは大多数の日本人を惑わせた。文明開化の音とともに。
キーワードの例は、「社会」「個人」「権利」「教育」「民主」「自由」などにも及ぶ。。
彼はいう。翻訳には時にはその時代の固有の、支配者の不都合が反映し意味が曖昧になったということだ。
ある古典の和訳が納得できないのでその部分を原語で探ると「おやっ」と思うことがあるという。例えば私有財産を英語ではprivate propertyというがprivateはラテン語のprivareから派生した言葉で、「力で奪う」ことで、私有財産は「略奪財産」の意味だった。支配者が力づくで自分のものにしてきたのが私有財産の原義だ、となる。私有財産権は神聖にして侵すべからずというのが、近・現代の憲法の規範だがそれば階級制度の都合が反映されていて、もとは人様の労働を奪って積み上げたのが「私有」財産だから、将来それを返上させる規範が生まれだろうと宗教家の彼は言いたげだった。西洋人はその意味を踏まえてこの言葉を使うが、西洋人と対話する日本人は言葉の背景を知らずに生硬な
輸入語のまま使っているので両者間で対話がずれ勝ちなわけだ。
それにしても漢字は美しいが妖しく、難しい。
政治と言わず経済と言わず現代社会には妖しい漢字語が飛び交い、造語も乱開発される。宣伝力で人々の意識の中にもやもやと埋め込まれて、実態の理解を遠ざけ、不条理を隠す作用を持っている言葉が多い。
宗教家の彼のもう一つの指摘を紹介しよう。英語のrightを翻訳するのに、江戸~明治の当初は「権理」と訳されていた。彼はそれが正訳だという。しかし明治20年頃から「権利」と訳す人が混ざり始め、遂にそれが定訳になった。功利主義=資本主義の勃興期には、自国の日本語まで利害の観念でゆがめてしまったと彼は言う。当時の時代的風潮が「権理=物事の正当な筋道」から「権利=自分のものとしての排他的利益」にすり変えてしまった。学問は西洋に発するものが多いが、納得できなければ翻訳で、丁寧に、一度立ち止まる必要がありそうだ。
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