田園調布の山荘

「和を以て貴しとなす」・・ 日本人の気質はこの言葉[平和愛好]に象徴されていると思われる。この観点から現代を透視したい。

現代のキーワード「偽装」(3)・・ブランドの危機

2008年07月22日 01時04分07秒 | 時評
社会化する食品の品質問題と食品業の未来進行形
食品業の属地性
 大手食品企業のやってきたことは、市場の外縁的拡大と製品差別化と大量生産の結合を進めるマーケテイング。しかし、競争が多様化し、大型化すれば同定問題(品質の差別化)を提起する。実は生産者、販売者と消費者との近接性の喪失がそれを促進する。消費者の農産物と食品に対する社会的意識が強固になり、市場の存続が消費者の態度にかかる時代になってきたという時代認識に立って。
 食品流通・加工業は、地域をベースに発展して来た。最近は資源の移動・移入が普遍的となり、大規模化が進展するに連れて地域性という本来的な属性が薄れつつある。換言すれば、地域で土地、原料、労働力をまかない、地消販路を構築することによって、循環型の農と工の協商形式を形成してきた特徴が薄れてきた。これは、交通・情報インフラと冷凍・輸送技術、そして農薬・化学肥料施用による安定的な生産技術の発達等を背景に、大都市への消費の集中と国内外の市場が、工業規格的に統合されてきたことによる。このことが、本来地域に依拠して成立した食品流通・加工業の「さらなる発展」なのか、それとも「没落」に通ずるのか吟味を要する点である。
 食品でも衣料でも工芸でも諸企業が大きくなっていく過程で、市場における信頼を獲得し得た原動力は、商品生産の地域性である。職人性が品質を作り、商標(ブランド)を作った。品質とは、目に見える形の公開された人と人との関係と、一次生産物に対する誇り、安心感・信頼を内実としている。地域の消費者が何らかの関係に於いて、製品生産、流通、加工等に参加している「有機的プラクテス」が形成してきたドラマ性が背景である。故にブランドとは本来的に生産関係者の名声に従属するものである。
 ところが、大きくなった企業ほど、大きくなった原動力としての地域性から外へ外へと身を置き、地域生産者のにおいを消してきた。原料、労働力がグローバルに調達され、生産の地縁的、有機的人間性が失われる。(有機性という概念は、例えば、有機農業に対する消費者の無農薬、無化学肥料がいいという異物排除意識ではなく、生産における、閉鎖性、無機性を不安視する心情に結びついている。)
 近代化によって、ブランドの記号化・シンボル化が進んだ。企業は、脱地域化、大規模化を生産管理と品質管理によって推進したが、これは一方において生産・流通の無機化への一路邁進であった。「健康食品」「有機農産物」などというコンセプトを許したのは、生産と流通の閉鎖性、無機性の進行と裏面的に軌を一にするものであった。
工程の社会化と業界の対応力
近時、O-157問題、雪印事件など「社会的」な異物混入問題を生む原因の背景には、生産から食卓に至る、一企業では管理しきれない、機械化工程の社会分散的広がりと、それを公的・社会的に管理する品質技術の未発達がある。異物混入問題は、ゴミや毛髪の混入といった工場内管理の問題ではなく、製品の社会的生産工程の分散・拡大の全般的過程における、消費者の意識発達によってあぶり出されてくるところの品質要求に対する業界側の対応力の問題そのものである。
 品質概念は、こうした背景とともに、目的製品の品質から製造・流通プロセスの品質へ変化した。
しかも品質は消費者の介入によって公共的な規制を持ち込みながら社会的に形成されるという状況変化がある。「品質は競争力を握る決定要因であるが工業製品とは異なり農産物と食品における品質経済のメカニズムは(かつては地域性という)ネットワークと信用であり、今はブランドとして名声化されているが、それはよりとらえがたい領域を成している。」(00/04…日本農経学会新山報告より)こうした指摘が出るのも、飽和した成熟市場に見られる製品の差別化の進展の中で、消費者はますます選択の余地が拡がり、他方ではその分だけ品質に対する信頼の根拠が失われる。よって大手企業は安全性と衛生を含む品質問題への戦略的対応が必要になった。何よりも重視すべきことは、品質とは、製品の品質から製造プロセスの品質へ、その品質は消費者によって形成されるということへの対応である。製品検査による事後的な品質管理から生産プロセスに対する持続的で全般的な制御をともなう予防的な管理に技術課題が置き換わりつつある。(前出、同)。とすれば、こういう「食品批判」に対して、大きな企業が自前の品質政策で、品質をリストラクションのテーマとして正しく認識し、原料から食卓に至る生産・流通構造の各工程を、工業的なコーデイネーション(規格・格付け)や、商標を中心としたマーケテイングアプローチだけに依存しない、自己の社会的存在意義を問い、自らのイニシアチブによる品質概念の再定義が希求されるだろう。このための、グローバルに消費者の信頼を獲得する新しい評価軸(これは極めて政治的なものであり得るが)を見出す必要がある。
産地に対する消費者の協賛 
 現代は、品質とは価格による調整で解決しない。大競争の時代における品質とは、与えられた設計図モデルとして外生的に与えられるものではない。すべてが動く現代では、品質とは、原料から製品の道筋の中で、産業同士の相互乗り入れゲームによって、相互に多様な変化要因を受取りながら、多様なコーデイネーションにより、工程横断的に、有機的に構築され、工程の至る所で断面として露呈する。消費者と製造者が折り合う場である店頭(すなわち市場)は、そのような協賛のうちの1つに過ぎず、品質が問われるのは店頭だけではない。留意すべきことは、品質に対する消費者の協賛は、論理的ではなく、生産・流通プロセスの持つ現実によって形成されることである。ゆえに、今後は各社が農業産地をどうINVOLVEするかの政策が決定的に重要になる。
 農業生産システムの管理手法と消費者への保証手法、その制度化が社会的公平の原則によってグローバルに行われ、付加価値形成過程に消費者が、グローバルに顧客権を行使して介入する形が、食品市場の構造であり、これにシンクロするのが食品業の未来形であると言わねばならない。
ついでに
 欧州における狂牛病問題やホルモン牛輸入禁止事件、そしてダイオキシン混入事件は、欧州の農業・食品加工・流通業全体に一挙に品質問題の社会化を意識させる事件であった。ごく最近は遺伝子組み替え食品表示問題が加わり、品質問題を工場問題から食卓問題、すなわち社会問題に持ち込んだ。欧州でもアメリカでも食品産業の最大なものは食肉産業である。品質不信は、「もう牛肉は食べることをやめよう」という動物愛護運動と結びつきかねない。欧州では21世紀は食肉消費は今世紀初頭に比べて減るという予測すらある。遺伝子組み替え飼料問題とともに、消費者の食品に対する安全と衛生の関心がきわめて大きく発達し、工程への干渉が起こりつつあることを知る必要があろう。(その2へ)
 

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