春は、多摩川の左岸、すなわち大田区側は、早朝5-6時は、連なるマンション群が日陰を作るので歩きにくい。そこで丸子橋を渡り川崎に出て歩く。そうすると朝の光を浴びることができる。
今日は今年初めてつばめの姿を見た。つばは近時あまり見かけないのが不思議でならなかったが、私の横を鋭く飛び抜け河原中を縦横に飛んでいた。どこかで聞いたところによると、つばめは4,50年前に比べると半減しているそうだ。もしかして、虫が少なくなった?いやいや、殺虫剤が普及してつばめも生きられなくなった? つばめについては、次のような記事を読んだことがある。
「日本中のつばめがその年に捕食する虫を人間が捕るとしたら8万6000人が毎日最高率の労働を200日続けるほどの手間がかかる。(大田信也、ツバメの暮らし百科)」つばめは偉大な存在だった。現代はその代わり殺虫剤があるというわけか。現代社会は大きなムダをしているのでは?
最近、コーラスの歌詞が非常に憶えられなくなった。「年のせい」と諦めていたが、ちょっと違うことを考えるようになった。それはつばめの飛ぶ姿を見てのことだった。
その姿には、メロディを奏でながら、歌って踊っているような動き(リズム)にあった。
それこそ歌っている姿に見える。ノロノロ、どたどたと歩いている散歩では、つばめのようなリズム感と無縁だ。もとより現代風のリズムを持っていない私(というか私の世代)は、テキトーに歌う。小学校唱歌や宴会の演歌のようにリズムもテキトーになり、歌詞を憶えられない。リズム感の欠如はもしかして生命感の欠如なのか、リズム感を磨くことは、健康にも大いに通ずるのではないかとふと思った。そうならばリズム練習はこれから始められないだろうか。それとも今からでは遅すぎるのだろうか。
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