田園調布の山荘

「和を以て貴しとなす」・・ 日本人の気質はこの言葉[平和愛好]に象徴されていると思われる。この観点から現代を透視したい。

180506 朝の散歩 昼の散歩139 ・・・徒歩 徒労 徒然草・・(3)筋を痛めた?もう遠出はできない?

2018年05月06日 11時15分09秒 |  身近な自然(植木、小鳥、川)、ペット

 

いつものように丸子橋に出て、川沿いの緑の道を選ぼうとしたが、何の気なしに直進し、綱島街道に向かう。行き先は武蔵小杉である。行きだけで4000歩弱の道のりで、今日は往復すればよいかなと思って、慣れない方角を選んだ。

 

この界隈は新宿副都心並の超高層の建物が林立し、それもほとんどマンションである。これはもう突如として生まれた都市としか言い様がない町である。大昔、自転車で動き回ったときの景観の知識が全く役立たない。30階、いや40階、もしくはそれ以上のビルが5棟、6棟と建ち並び、この界隈の景観を知っていた私にとって景観の区切りとなる緑地、警察署や区役所、消防署、そして小学校、お寺はどこに行ってしまったのと戸迷うことになった。みんなビルの中に収容されたのか?

 

JR南部線と東急東横線、その他のルート(残念ながら路線名は知らない)も接続され、さらに空港行きのシャトルバスの発着もこの辺りだということは知識として分かっていたが、実際に歩いてみると位置が分からない。それは疲れるの、なんのって。

 

綱島街道から見えるはずの東急線武蔵小杉駅も、マンション群の陰に埋もれたようになっていてこれも田園調布駅のような求心性がない。駅前広場、商店街はどうなったのかよく分からない。

公衆トイレを探そうとしたが分からなかった。ビルとビルを結ぶ道は標識によって示されているがこれは道というより回路とも言うべきか。駅の周りを(トイレを探しに)何回も巡る羽目になり、ふと気付くと駅の改札口の前に立っていた。トイレは改札を通らないとなさそうだった。

やむを得ず綱島街道に戻り、中原街道、丸子橋にUターンしようとしたが、今度は綱島街道に帰りの歩道がなかった。「行きは歩道あり、帰りは無し」の綱島街道を諦め、迂回路を探す。再び駅に戻り、記憶を頼りに新丸子方面の旧来の道筋を探ったが、またもや駅の周りを周回する羽目に。道が分からないところを歩き続けるのは、膝も怖いし、トイレも怖いので、やむを得ず電車に乗って帰る羽目に。

沼部駅に着いた途端に膝の裏側がさらにズキズキ痛み始めた。これは徒労と言うべきか。


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