徒然(つれづれ)なるままに、身体と頭を空にして歩きながら感受したことを、自分のコトバで綴る・・・・自由を感じる時間だ。
ところで、都市計画の専門の方に聞くと「徒歩圏」という言い方があるようだ。平たく言えば、日常歩く範囲の戸外空間と解される。私のサラリーマン時代は徒歩範囲はせいぜい数百メートルだった。それ以上の距離になるとバス、乗用車、鉄道、航空機に乗る。
私の中学時代の徒歩圏は3キロ四方だった。これは今の私の朝の散歩の距離感と一致する。5年前に自転車を捨てたことで徒歩圏が中学時代にカムバックした。
昭和35年ぐらいまでは、農村では3キロ平方メートル程度の徒歩圏がそのまま生活圏でもあった。その圏域には水田や里山(菜園、果樹、山菜)や小川が刻まれるようにあり、役場も警察も郵便局も小学校も商店もお寺(墓所)もその範囲にコンパクトにあった。出会う人はほとんど知人だった。
通信はラジオだけ、水は井戸、食料(お米、野菜、果物、調味料)もエネルギー(木炭)も自給が基本で、3キロを超える移動は舗装のない道をバスや荷車で移動した。
映画や芝居を見に町に出かけることなぞあり得なかった。私も小学生まではそんな暮らしだった。
今の都会生活は、徒歩圏は極端に狭くなり生活圏は極端に広がり欲しいものは簡単に手に入る。けれdも都市の民は食料もエネルギーも、水ですら遠方からの「仕送り」でやっている。昔ながらの徒歩圏にあった景観、生物、水と緑は犠牲にされ、短距離の徒歩ですら苦行になってきた。
大田区のかなりの部分は多摩川旧河川敷だ。土地利用(用水)をうまく管理してきたのでバランスの取れた地域空間である(あったというべきか)。無骨な環八、新幹線、そしてコンクリートで囲い込まれた呑川に飲まれることなく、短距離のローカル電車が3線もあるのは温かい。徒歩圏も割合楽に決められるし、景観も圧迫感がなく悪くない、生活圏の選択の自由度は乏しいとは言え、人間関係(これは文化、教育の土台)も、持続される環境にある。
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