人類の発生から発展、地上の支配という流れで(歴史で)、21世紀の5分の一を過ぎた今日、この歴史を続ける上にも問題とされる諸点を私なりの勝手な物差しで整理するとこうなる。
その勝手な物差し、評価軸は人類だけを見て、「健康安全」「戦争」「産業の発展と持続性」「差別、格差、支配」「地域」「文化」の6つとした。もっと要約すると「自然と人間」「階級支配」「土地利用」「倫理と科学」の4軸だ。この4つのカテゴリーのそれぞれに複雑な要素がぎっしり詰まり、地上で社会を構成して生きる人類の悩みや苦しみの清算を求める人知が生まれている。地上に生きる人々の個人の悩み、要求とその解決に向かって活動する仕方がなんであるか・。個人ごとそれぞれに存在し、それぞれ悩み、それぞれあがいている姿が地上にあふれている。悩みを個人と社会の関係性から生じるとするとその解決手段が社会的に編み出される。とすれば、人知の組織化、集約化とその活用上の正しい運営(民主主義)がいちばんの要求となろう。
以上の4つのテーマを、最後の倫理と科学を梃にして、同時並行で、平和裏に解決していく能力が求められるが新自由主義的施策を遂行中の自公政権に打開力があるとは到底思えない。4つのテーマにはすべて後ろ向きで矛盾を深める方向に大きくかじ取りをしてきた。
今日の指導層には「自然と人間」・・地上で生態系(再生可能資源)に守られ、文明と文化を営む計画力が提起できない。大きな氷山が見え隠れし、そこに衝突するかもしれないタイタニック地球号。気象変動に対し、脱炭素化の技術を編成し、産業化し、地域を活性化する知恵(理論)と推進力は持ち合わせていない。これは、原発にしがみついているように、自然を壊していく経済モデルの中で利権をあさり続けてきた原始人たちだから。地球は滅びるかも知れないという予測能力は皆無。
「階級支配」・・ここ30年、市場原理、競争原理、自己責任論の呼号の下で、資本自由化、アウトソーシングによる企業の合理化、働き方改革という福利厚生カットの政策を推進、結果として資本・労働の均衡を壊し、家庭の崩壊、家庭の再生産力の劣化、少子化を招き、その代替策として、一時的効果しかない低廉な外国労働力の移入を進めた。
「地域の資源や労働力を使って横断的、相互協力的に地域商品体系を想像してきたシステムが破壊、分断された。すなわち、人びとが商品を作り、育て、地域に再投資するという循環を切ってしまった。このため地域の生産力が落ち、人びとが流民化して都会に流れ、都会に大きな問題を作り、経済成長が加速するではなくむしろ停滞し、総体的に貧困を加速した。
「土地利用」・・第一次産業は、地域防災、資源保護・利用、空間的、時間的な地域経済の持続性担保にかかわっている。地域に敷設される産業、文化、生活のインフラは地域資源と地域空間の特質に基礎を置いた地域計画を必要とする。中央集権国家の動きは、地域特性を無視、軽視し地域経済の持続性を顧慮せず、地域から資源、労働をごぼう抜き状態で都会に集約し、富を国外に持ち出し、国外の富と交換しこれを私有化(廃棄物は公に廃棄)するという流れを作ってきた。大資本の膨張と地域の衰退、環境の破壊、労働の搾取、少子化が進行する速度と比例して、この富が増大した。
「倫理と科学」・・いうまでもなく、人は知恵を有し、それを集積しながら社会を作っていく。生産力を増していくためには、資源の発見、資源の移動や加工の効率、合わせて資源の保全をしなければならない。現在は、前者は個人の恣意(私経済で)で後者は社会の合意(政治で)で行ってきたが、これの亀裂がほころびが増大してきている。その矛盾を解消しなければ持続性は担保されなくなる。この解消に向かう人類の知恵は、倫理学と科学の両建てによる社会運営にある。この社会運営は、さまざまな共通の規範によってレールが敷かれその上を安全運航することになる。新自由主義が収まっていない今日において、まずは倫理的に現在の経済システムを批判的に検証を行い、技術的に有効性の高い事業システム(地域事業)を構想していかなければならないだろう。これは喫緊の研究対象となろう。
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