田園調布の山荘

「和を以て貴しとなす」・・ 日本人の気質はこの言葉[平和愛好]に象徴されていると思われる。この観点から現代を透視したい。

160713 出会い、ふれあい、美の発見

2016年07月16日 10時25分04秒 | 日本の未来像(future

病弱者、身体障害者、戦争や災害の犠牲者、子供を失った親など、本来なら美しい生を受け、命を全うしたかもしれない人々に対して、誰でも否応なく向き合わねばならないのが人生である。我は我という哲学で、「あっしにはかかわりありませんので」と通り抜ける紋次郎のようなシーンは現実にはほとんどない。身の回りの現実を受け入れその中に不条理、不合理が見つかると、自分の価値観に沿ってこれに向き合い、打開していく気持ちが生ずる。そして次から次に生起する諸問題に対して、精一杯向き合い、格闘していく中で、美を発見し、美を磨いていくことができる。さしづめ人生を生きていく喜び、生を満喫する喜びはこうしたものであろう。

人が人を台無しにする、これには物質的、精神的の両面があり、その両面は常に因果関係で結ばれているが、人類史上まだ克服されていないものに戦争がある。戦争とは、人と人との軋轢ではない。社会と社会の間の軋轢の形をとる、しかし戦争によって、社会が滅亡することは滅多になかった。つまり戦争とは相手を撃滅することを究極の目的にする行為ではなく、相手の社会機能をかく乱し、社会の維持を困難にさせ、言い分を通す目的を有する行為で、両当事者は相手の社会から何者かを強奪することをもって、その結果が得られた時に戦は終結するが、問題は決して解決するのではない。戦争の危険はいたるところにあり、また戦争の危険を鼓吹して、安保のために社会を構成する個人の自由な価値観や幸せの探求を抑え込もうとするイデオロギーは世界に黒雲のように覆っている。その象徴が馬鹿げた核兵器開発保有である。核戦争は、社会を根底から抹殺するから核戦争を決意し核のボタンを押すことを命ずる政治家は普通に誕生するはずがない。しかし時として政治家が狂気になり、その政治家が指揮する国家権力が核戦争の導線に点火するようなことをやらかしかねないことを十分考量しておく必要がある。政治家を社会が監視し、社会を滅ぼす恐れのあるような行為を社会が制御し、暴走を止める非軍事の抑止力を懸命に開発しなければならないところに来ている。 


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