朝の散歩以外、感染予防のため外出を控えていることが日常化しています。
秋ともなれば手帳に外出、旅行予定が並ぶのですが、今年はスカスカ。手帳を開くこともほとんどありません。それでもいくつかのお誘い(約束)があり、記帳していますが、今度はうっかりスキップしないように気を付けています。 . . . 本文を読む
朝の散歩以外、感染予防のため外出を控えていることが日常化しています。
秋ともなれば手帳に外出、旅行予定が並ぶのですが、今年はスカスカ。手帳を開くこともほとんどありません。それでもいくつかのお誘い(約束)があり、記帳していますが、今度はうっかりスキップしないように気を付けています。 . . . 本文を読む
こどものころは戦争で、長じてはや仕事の関係で私は音楽に近づきたかったが近づけませんでした。レコードを聴くのは大好きでしたが、声出しは宴会とかカラオケぐらいでした。しかし今は、引退して地元に帰ってきてから偶然コーラスに入れていただき、温かくゆたかな気持ちを味あわせていただいております。
今から20年前、「創るということ」というタイトルで故 団 伊玖磨氏(山田耕筰に師事した?作曲家、1924―2001)のお話を聴く機会がありました。 . . . 本文を読む
コロナ禍の今、私が自由に動いているのは朝の散歩のときだけ・・?晴天の続く毎日、6時ともなるとじりじりと夏の陽が。しかし川岸に立つとそこには広大な空間が開け、豊かな水をたたえた多摩川の川面が。そして今歩いている場所が涼しい、ムクゲの花が静かに開かれ、力を増してきた桜間並木の葉と身体を接しながら歩けるマイウエイでした。“あれ? 鶴が舞っている”鶴が4~5羽、対岸の上空に舞い、やがて雲間に隠れて姿を消しました。傍らでは早くもツクツクボウシが全身を揺らして鳴き、蝉の混声合唱の何割かを占めています。 . . . 本文を読む
60年も昔のこと、次第に記憶が薄らいでいますが、天井裏を整理したら白黒写真の形で近所の子たちと遊んだ記録が数枚出てきました。とんでもない崖地に立っていたあばら家に住んでいた我が家族でした。 . . . 本文を読む
今年は2021年、60年前は1961年、更に60年前は1901年、更にその前は1841年。ざっくりいうと60年ぐらいの周期で大きなことが起こる。誰かが言っていたが、大塩平八郎の乱(1837年)を契機に幕府の解体が進んだ、そのほぼ60年後に日清戦争、更に60年後に日米安保、そしてさらに60年後にはコロナ禍。これらの変化は日本の骨格が揺らぎかねない大事件だろう。 . . . 本文を読む
60年前にここにやって来た時、何よりも多摩川の圧倒的な風景に魅せられました。田園調布といってもあばら屋に居を求めて移住してきたのですが、自然や街の風景には大いに満足していました。我が家から川が見え . . . 本文を読む