210814 朝の散歩 昼の散歩(290)・・ 60年前の近所の風景 多摩川(4)
明日は終戦記念日、広島が準郷里の私には心が疼くものがあります。明治以降の日本の歴史は長い鎖国の反動のように外に向かって大胆に歩を歩むこと、そのために西洋の文明とそれを支えた資本主義をがむしゃらに取り入れることで、東洋の強国を志向しました。その過程で、国策を誤り、戦争で沖縄は蹂躙され、広島長崎は原爆の被害を受け、東京の下町は10万人にも及ぶ死者を出した空爆を受けました。
その時音楽の歴史あれこれについて面白いことを言っていたなあという鮮烈な感動がありましたが年月の経過と共に記憶がぼやけていました。
団氏はその日の講演の1か月後に急逝されました。後日、団氏の生の(本人の校閲のない)講演の書き起こしが学士会報2001‐Ⅲ No.832に収録され、私はそれに触れることができたのでした。
この時、団氏は笑いを取りながら二時間ぐらい滔々と話をされていました。
コロナ禍の中で閉じこもりがちな私には、その原稿をこのお盆の間に読み返し、その豊かな話法にさわやかな消夏法を発見しました。
ではこれがどんなものか、お話は多岐にわたり、順序だてが難しいのですがどのフレーズを採っても新鮮に響いています。適当に列挙します。
・音楽は劇とともに三本柱(創作、演奏、聴衆)で成り立っている。文学、絵画との次元の違い。
・「作曲」という言葉は明治の人の苦し紛れの翻訳。江戸時代は文が主、に音が従。音楽とは「節付け」
・ペルシャなど躍動的な音(踊りの上下運動)に水平運動しかない動きの農耕民族中国はびっくり。日本も同じ。騎馬民族の朝鮮はペルシャと同類。
・朝鮮民謡は3拍子が大半。五木の子守歌(日本民謡では稀有な3拍子)は16-7世紀に朝鮮からの拉致された少女のエレジー?
・日本には三度音楽が入った。飛鳥時代(唐楽☞雅楽へ)、キリシタン布教時代(讃美歌☞秀吉、家康が弾圧でつぶれ)。ペルリ来航時軍楽隊(軍楽☞軍隊へ模倣、採用、西洋音楽へ)。
・日本の音楽は享楽のため遊郭で芸事と一緒に広がった。西洋では教会で神の賛美のために育てた。
・日本は足並みをそろえて行進することを知らなかった。維新軍の鼓笛隊の行進音楽は幕府軍は驚愕。
・西欧音楽の苗床はローマのキリスト教会。神の賛美のため。キリスト教以前の音楽はほとんどない。
・合唱は教会でシステム化。指揮法も記譜法も。
・演奏会の起源はフランス革命。演奏会場の始まりも。これで音楽が市民要求で聴衆誕生、大衆化。
・オペラは例外。演劇と融合の新芸術。貴族の坊やたちの遊戯。最初のオペラは1600年。イタリア。これが大発展。
・日本は脱亜入欧のために西洋音楽取入れ。最初の先生が英国人。そのため英国民謡が主流の小学生の教科署に(☞アイルランド民謡、スコットランド民謡・・・)。現代までこれが伝統に。
・軍歌は日清戦争の時に質がもっとも優れていた。この時代は音楽というものが新鮮だった。この軍歌がいくつも敵国中国の軍歌にも変身した。
・・・まだまだありますが省略させていただきます・・・・。
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