万博記念公園の河津桜の開花状況から、ネットで京都淀の河津桜が気になって初めて訪ねてみました。
京阪電車淀駅を降りて「淀の河津桜」ののぼりを頼りに歩いて、通りすがりの地元の人に声をかけると、まだ咲いていないですよの返事に少々気落ちしながらも、住宅街の細い道でピンクの濃い花を見つけて安堵しました。
この2本は「正月桜」といって河津桜と兄弟桜との案内。*河津桜は大島桜と寒緋桜の自然交配種で「正月桜」は寒緋桜の遺伝子を強く引き継いだ変異株だとの説明が、またこの淀の地に2002年に一番先にに植付けられたとのことでした。
本来の水路に着きましたが、開花にはもう少しかかりそうな木が大半でしたが、一番京阪電車沿線寄りの方で咲き始めた木を見つけてやれやれでした。
咲き出した花ばかりで写真には好都合でした。
こちらの桜にも甘党のメジロが蜜を求めて、花から花へと忙しそうでした。
やっぱり梅と違って桜も好いですね!! 10年以上前に弟夫婦と一緒に伊豆箱根旅行で見た河津桜を思い出しました。
5~600mぐらい(?)の町中の小さな水路でしたが、満開になったら、壮観だろうな、植えてまだ年月が浅いのか、若くて手の届くような背の低い木々でした。
帰りに何年か前に参拝したことのある與杼(よど: 淀)神社に寄りました。
案内の立て札では桂川の水上運輸の守護神として、当初は水垂町にあったが、淀川改修工事で明治になって現在地に移されたとのこと。
「大坂淀屋の高灯籠」の案内板。江戸時代の豪商淀屋のゆかりの地とは初めて知りました。
與杼神社すぐ隣の稲葉神社。廃藩置県後の1885年に旧淀藩士が藩主、稲葉家の家祖を祀ったそうだ。
「淀城の由来」には、徳川二代将軍秀忠は元和五年(1619)の伏見城廃城に伴い三川合流の水陸要所のこの地に寛永二年(1625)に竣工させたとあった。秀吉時代の茶々ゆかりの淀城は現在の城趾より北へ500m程の所だという。
今は石垣だけになった城址傍の高架を京阪電車がひっきりなしに通過していました。
帰りの淀駅ホームからJRA淀競馬場。
朝着いた時、前の車両に乗っていたため、ホームからの階段が閉まっているので不思議でしたが、ホーム中央から京都寄りは競馬開催時用だと納得しました。
万博野球場近くの河津桜も開いたかな?