四季の花々と風景

日々目についた花々や風景の雑感

2019.11.23 勤労感謝の日の万博記念公園

2019-11-23 | 日記

 朝から快晴、昨日よりも気温も上がって気持ちよい小春日和か。途中の道端に春の花のホトケノザがいっぱい咲いていました。春の七草「ほとけのざ」とは同名ですがこちらはシソ科オドリコソウ属、別名サンガイグサ。七草の方はキク科でコオニタビラコともいうとネットにはありました。

 「ホトケノザ」、春が来たのかな? ネットによると開花期3~6月とある。

 スポーツ広場近くのユズリハには黒い実がいっぱい。

 万博球場では新聞社主催の少年野球大会の開会式が始まっていました。

 銀杏の黄葉。

 パナソニック吹田スタジアムではガンバの仙台とのホームゲームでか、行き交うファンがいっぱい。

 外周の紅葉桜並木。

 水車茶屋前ではサツキ?ツツジ(かも)の赤い花が、こちらでも季節外れ。

 水車茶屋の塀越しに真っ赤な紅葉に向かって。一瞬[京都?」。

 紅葉(黄葉)のメタセコイアの下ではママさんが子にスマホ向けて一生懸命でした。

 紅葉渓近くでも季節外れのツツジが。秋と春が混在しているようです。

 芝生の広場は家族連れが気持ちよさそう。


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2019.11.19 洛北の紅葉めぐり③金福寺

2019-11-21 | 日記

 洛北の紅葉めぐり、今回は3回目の金福寺です。
 金福寺は先の圓光寺や詩仙堂と違って余り有名でないのか、拝観の人も少なく会ったのは数人でした。圓光寺、詩仙堂では見かけた外国の方も見かけませんでした。
 パンフによれば佛日山金福寺:開基は慈覚大師、芭蕉・蕪村・村山たか女 ゆかりの寺とありました。
また、江戸時代中期、荒廃していた同寺を圓光寺沢雲長老の法嗣鉄舟和尚が再興し臨済宗南禅寺派として今日に至っているとありました。

 詩仙堂から金福寺への途中に本願寺北山別院。

緑の生け垣越に真っ赤な紅葉が陽を受けている金福寺(こんぷくじ)、門前が少し窮屈そう。

白砂が映えています。

 本堂には残念ながら今回もあがりませんでした。

 蕪村とその門人寺村百池の句碑。

 [芭蕉庵」つっかい棒がないとだめなのかな? パンフの写真には棒がありません。
芭蕉庵の由来:元禄の昔、芭蕉は山城(京都)の東西を吟行した頃、当寺の草庵で閑居していた住職鉄舟和尚を訪れ、風雅の道について語り合い親交を深めた。芭蕉を敬慕していた与謝蕪村がその後当寺を訪ね荒廃していた庵を再興し、天明元年、俳文「洛東芭蕉庵再興記」を当寺に納めた、とありました。
 その時の蕪村の句
  耳目肺腸 ここに玉巻く 芭蕉庵
 また、当寺で詠んだ芭蕉の句
  憂き我を さびしがらせよ 閑古鳥
 だそうです。また、虚子なども訪ね来て俳句を詠んでいるとのこと。
そして、村山たか女についても案内パンフレットで初めて知りました。井伊直弼が彦根城の埋木舎で不遇な部屋住の生活をしていた頃の愛人だった。大老が桜田門外の変で暗殺されたあと、勤皇の志士に捉えられるが後、尼僧となって金福寺に入り67歳の波乱の生涯を閉じ、本墓は先に訪ねた圓光寺にあり、当寺には御位牌などが伝わっているという。

 芭蕉庵の裏手にある「洛東芭蕉庵再興記」。

 「呉春の碑」ひょっとしてと思い、帰ってからネットで検索しました。やっぱり池田の酒「呉春」に関係がありました。

 上の案内看板で愛宕山を確認できました。

 与謝蕪村の墓、右は蕪村門下の江森月居の墓。

 右が呉月渓(松村呉春:江戸中期の絵師で四条派の始祖)、左が呉景文(呉春の異母末弟で弟子)の墓。
呉春:与謝蕪村の内弟子になり俳諧や文人画を学び、後年、妻や父親を相次いで亡くし、しばらく現在の池田市に転地療養する。この地の古名である「呉服(くれは)の里」で新春を過ごした事に因み、呉春、伯望の画号を名乗るようになる(この縁で、池田市には今でも「呉春」と言う名の地酒がある)とネットにありました。松村呉春とお酒の呉春が繋がりました。次回仲間との飲み会にうんちくが出来ました。

 芭蕉庵の草屋根に根付く草ともみじ葉。

 庵の中に立てかけてありました。蕪村ここでよめる句
「冬ちかし 時雨の雲も こゝよりぞ」が後ろから。2行目にありました。

 帰りに気付いて一枚。

 前回この三寺を訪ねたときは、JR京都駅まで歩いて帰ったのですが、今回は松ヶ崎駅へ引き返すこととし白川通を横切って途中小学校傍の公園で遅い昼飯にして、高野川沿いまで出ました。
 北山通の下(南)の松ヶ崎の家並みなど大きな屋敷もあり、京都らしい町歩きは天気も好く、初めての帰り道だったこともあって気持ちよく歩けました。
 帰ると1万9千歩でした。

 

 


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2019.11.19洛北の紅葉めぐり② 詩仙堂

2019-11-20 | 日記

 洛北の紅葉めぐりで詩仙堂です。
 案内によると詩仙堂(凹凸窩)は江戸時代(寛永18年:1641)に家康に16歳の時に近習として仕え33歳の時、大坂夏の陣を最後に徳川家を離れ、京都にて文人として学んだ石川丈山によって造営された。  また、丈山は隷書、漢詩の大家であり煎茶(文人茶)の開祖とあった。お寺らしくない佇まいの感じですが現在は曹洞宗大本山永平寺の末寺と、これも案内書にありました。

 正座したり、足を伸ばしたり、スマホをかざしたり、みんな思い思いのひととき。書院から。

 白壁に紅葉映えて。

 丈山考案の園水を利用して音響を発し、鹿猪が庭園を荒らすのを防ぎ、また、丈山自身も閑寂の中にこの音を愛し老隠の慰めとしたともいう"僧都”(添水、一般には鹿威しともいう)とあった。「鹿威し」って名前、本当に鹿や猪を威すためだったんだと改めて納得しました。
 下はちょうどカポーンとはねたところ。

 
 頭上に目を向けると。

 足元にはヤブラン?の黒光りの実。

 そしてこちらはクチナシの実。

 ミヤコワスレ(丈山菊)と落ち葉。

 [残月軒」と紅葉。

 竹藪の向こうは紅葉、右端は「ムカゴ」か。

 真っ赤に熟した実、タラヨウ? それとも千両かな?

 柿の葉の色が、なんとも言えぬ色。

 帰り、石垣の苔も黄葉?

 詩仙堂入り口、土産出店の坂道。

 

 

 


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2019.11.19 京都洛北紅葉めぐり圓光寺・詩仙堂・金福寺①

2019-11-19 | 日記

 17日に入園した万博公園の紅葉が見頃だったということで、京都の紅葉が気になって以前訪れたことがある詩仙堂、金福寺辺りに出かけてみよう、できれば圓光寺に行ってみようと出かけました。
 圓光寺は新聞情報には載ってなくてネットで調べると見頃近しでした。詩仙堂、金福寺は以前訪れたことがあると記憶していたのですが、圓光寺は初めてだと思っていたら、石段を上がってみて思い出しました。前にお参りしたことがあると、帰宅後にPCで確認、2015.11.20に三寺とも来ていました。歳は取りたくないとつくづく思うこの頃です。
 JR京都駅から地下鉄国際会館行きにのって前回は北山駅から歩きましたが、今日は松ヶ崎駅で下車、また歩くことにしました。予報では雨の心配はなかったのですが日中の気温は上がらなくて朝の気温が一番高いくらいだということで、ジャンパーを羽織って歩いてもちょうど良いくらいでした。風も時折あって雲がかかると薄寒いくらいでした。
 今日も写真を撮り過ぎてしまいましたので、3回に分けて記載します。

 白川通を入って、圓光寺手前で見かけた赤い実がいっぱい、ウメモドキでは。

 道を間違ってすぐ北隣の西圓寺、紅葉が美しかったので一枚撮って引き返しました。

 手水鉢に青竹に紅葉が・・・と思っていたら、水琴窟だそうだ。ただ、音を聞くことが出来なかったが。

 反対側には木炭をかたどった石(?)、それとも炭か(?)。

 [土牛之庭」紅葉はもう少しというところか。案内にあるような真っ赤な紅葉は撮れませんでしたが、それでも緋毛氈に良くあう紅葉庭。

 座禅をする部屋だそうだ。両側の畳の上に座布団(?)がたくさん並んでいました。

 たたき込まれた木版。

 鐘楼と紅葉。

 本堂裏の山に登ると絶景でした。時雨でも来そうな一瞬の空模様。

 「東照宮」の横の東照大権現(家康公)の墓。案内によると当山開基徳川家康公の歯を埋葬したとありました。

 裏山の竹藪の中、竹の古い切り株から?

 こちらは「奔龍庭」龍が奔り雲海が煌めく とパンフにはありました。立った石が龍か、砂が雲か、雲は何か和菓子の形にあるような。

 入山する時、駐車場を横切って入ったので、帰る際に写真撮影。
 瑞巌山圓光寺 臨済宗南禅寺派とのこと、私の実家も臨済宗南禅寺派で縁を感じる拝観でした。


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2019.11.17 無料デーの万博記念公園

2019-11-17 | 日記

 今日は昨日から続いての万博記念公園は秋の無料デーです。一部の施設などで特別展を除いて常設展は無料ということでしょうか、10時前に入園しましたが天気にも恵まれて来場者がいっぱいでした。広場のあちこちでイベントが催されていて、それでも園内が広いのか人混みで大変という感じはしません。
 私も万博パビリオン(万博当時は鉄鋼館)に初めて入館し常設展を見てきました。懐かしさいっぱいでした。

 入場料800円もしたのだ。確か期間中4回ぐらい入ったと思うのですが。今ではソ連館、アメリカ館入館に一日ずつ使ったように思います。あの暑い夏日に、何時間も並んで。月の石も間近に見ることも出来ずに再び暑い世界に押し出されるような感じでした。

入場者数6421万人だって、迷子4万8千人、1日最大入場者数83万人などなど桁違いに大きな数字です。

 ベスト・オブ万博:アメリカ館入館待ち時間 4~5時間、もっと並んだように思いましたが。

 高さNo.1 のソ連館、110m

 お祭り広場の様子映像。

 太陽の塔、お祭り広場からの屋根が入り口正面近くまで伸びていたようです。

 半世紀経ってもびくともしない太陽の塔のプロデューサー岡本太郎さんのビデオもありました。当時としてはとてつもない、でっかい代物。万博を印象づけた太陽の塔。今ではなくてはならない、あって当然の太陽の塔です。もしなかったら、只だだっ広い公園であったかも。

 「世界の国からこんにちは」、三波春夫の歌も懐かしい。

 お祭り広場で綱引き?

 電動自転車(今はなき三洋電機の開発したもの)に電気自動車。

 万博ホールってどこにあったのか、催し物もビッグなものばかりです。

 取り壊されるまで一度も上ったことがなかったエキスポタワー。そう言えば今春から内部公開が始まった太陽の塔、一度は見学しておきたいものです。

 エキスポランドも今はエキスポシティーへ。

 made in EXPO'70だって。缶コーヒーに動く歩道か、いろんなものがありますね!


 跡地に出来た万博記念公園、この公園がなかったらウオーキングも散歩もやっていなかったかも。お陰様で精一杯利用させていただいています。感謝、感謝です。

 パビリオンから見える芝生の広場では、何処かの企業の運動会か、玉入れの真っ最中で例によってスピーカーの音量が最大、競技中の選手よりアナウンサーが興奮状態でした。

 パビリオンの壁に絡まった蔦も周りの桜に負けず紅葉していました。

 そして今日のお祭り広場では、恒例の「ABCラジオまつり」で当時のお祭り広場に負けないぐらい(?)の観客を集めていました。

 近くの紅葉のしたではカメラ、スマホをかまえる人、次から次へ。

 紅葉の下や芝生では弁当を広げる家族連れやグループがいっぱい。

 十月桜も秋の陽をいっぱい浴びて。

 


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