承久の乱合戦
各務原市の木曽川近くにそびえる矢熊山、山腹の南斜面に、歴史の授業で習った、鎌倉時代の承久の乱で戦死した武士たちの供養塔が多数祀られています。
久しぶりに、各務原浄化センターに駐車して矢熊山から木曽川まで散策して来ました。(12日)
承久三年(1221年)、鎌倉幕府の源氏が3代で絶えた後、後鳥羽上皇は朝廷の権威回復のため北条義時討伐の院宣を下しました。この争乱を「承久の乱」といい、美濃の武士の多くは上皇方に加わり木曽川に幕府の大軍を迎え撃ちました。この激戦地で戦死した武士を供養するためこの一帯にあったものを集めてこの地に移したものです。
(木曽川学歴史ガイドブックより引用)
各務原市の木曽川近くにそびえる矢熊山、山腹の南斜面に、歴史の授業で習った、鎌倉時代の承久の乱で戦死した武士たちの供養塔が多数祀られています。
久しぶりに、各務原浄化センターに駐車して矢熊山から木曽川まで散策して来ました。(12日)
承久三年(1221年)、鎌倉幕府の源氏が3代で絶えた後、後鳥羽上皇は朝廷の権威回復のため北条義時討伐の院宣を下しました。この争乱を「承久の乱」といい、美濃の武士の多くは上皇方に加わり木曽川に幕府の大軍を迎え撃ちました。この激戦地で戦死した武士を供養するためこの一帯にあったものを集めてこの地に移したものです。
(木曽川学歴史ガイドブックより引用)
木曽川浄水公園から眺めた矢熊山、山頂にはお不動さんが祀られています。
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矢熊山登山道の途中にある「承久の乱の供養塔」
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承久の乱 両軍対陣図
摩免戸と書いてある付近が、矢熊山になります。
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激戦地があった木曽川、橋は愛岐大橋。かっては大雨が降ると矢熊山の麓まで木曽川の流れが来ていたのが、河川改修や堤防の整備で今では500mも南に寄り、工場等が建っています。木曽川の向こうは愛知県江南市で、写っていませんが名古屋駅のツインタワーも見ることができましたよ。
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激戦地付近??
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前渡猿尾堤
矢熊山の付近から各務原浄化センターにかけて、「前渡猿尾堤」という石積みの堤が残っています。猿尾堤は洪水のときに本堤を守るため、木曽川に向かって弓なりに突き出すように伸び、水流をさえぎって水勢を弱める「出し」と呼ばれ猿の尻尾に似ているから猿尾堤と呼ばれました。
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ご訪問ありがとうございます。
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矢熊山登山道の途中にある「承久の乱の供養塔」
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承久の乱 両軍対陣図
摩免戸と書いてある付近が、矢熊山になります。
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激戦地があった木曽川、橋は愛岐大橋。かっては大雨が降ると矢熊山の麓まで木曽川の流れが来ていたのが、河川改修や堤防の整備で今では500mも南に寄り、工場等が建っています。木曽川の向こうは愛知県江南市で、写っていませんが名古屋駅のツインタワーも見ることができましたよ。
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激戦地付近??
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前渡猿尾堤
矢熊山の付近から各務原浄化センターにかけて、「前渡猿尾堤」という石積みの堤が残っています。猿尾堤は洪水のときに本堤を守るため、木曽川に向かって弓なりに突き出すように伸び、水流をさえぎって水勢を弱める「出し」と呼ばれ猿の尻尾に似ているから猿尾堤と呼ばれました。
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