海岸にて

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マスコミのマスコミによるマスコミのための

2009-08-19 | マスコミ
小社会   2009年08月15日08時03分

「だますものだけでは戦争は起こらない」と、映画監督・脚本家の伊丹万作(十三さんの父)が「だまされる側の責任」を問い掛けたのは敗戦翌年の春だった(「戦争責任者の問題」)。

当時、国民の間には「だまされていた」という空気が広がっていた。学校教育や新聞・ラジオが聖戦をあおり、情報が閉ざされていた戦前から戦中。不敗を信じていた多くの国民が、敗戦を経て「だまされた」との思いを抱いたのも無理はないだろう。

伊丹はそんな風潮を苦々しく受け止めていたようだ。厳しく批判する。たとえ重さは異なるにしても、責任はだます側、だまされる側の両方にある。そして「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」とまで言い切る。

強い反発があるだろう。それが当然でもある。戦争に駆り立てた軍や政府、さらに加担したマスコミなど「だます側の責任」を軽くしかねない。いまふうにいえば、「自己責任」を強調することにもつながろう。

ただし、「『だまされていた』といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう」との言葉は重く響く。戦後の歩みを振り返ると、最近の小泉構造改革を含め、多くの国民が後で「しまった」とほぞをかんだ例は少なくないはず。

伊丹は「なぜそんなに簡単にだまされるのか」という怒りを胸に、1946年9月に世を去った。きょうは終戦記念日。 
(高知新聞)

  

 

   

なぜそんなに簡単にだまされるのか(伊丹氏)・・戦前も今もマスコミが果たした役割を考えると、よくこのような記事を書けたものだと思う。 マスコミの情報操作が上手かったから、とで言ってもらいたいのか? 

 

歪曲情報拡散を実行しているのは、昔は新聞とラジオ、今は新聞とテレビである。全ての情報の中核にいて大きな役割を果たしているのはマスコミ自身である実行部隊であったマスコミ自身の責任は、何なのか?

   

昔に限らず今も、情報の小細工大細工、再生産なら、お手の物なのだろう。 「だまされていた』といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう」という伊丹氏の言葉を持ちだして、「戦後の歩みがどうの構造改革がどうのと書いて、「きょう終戦記念日」という言葉で締めくくる。まったく気味の悪い論理展開である。

  

戦後、マスコミはより主体的になり、いっそう巨大化した。マスコミはまともな情報もそうでない情報も、情報を上手く調理して利用する。 自身の”責任隠蔽、責任転換”も仕事のうちなのだろう。 

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