青い鳥を常に求めて

人生の理想を追求する姿勢で何事にも当たりたい。

日本舞踊

2008-01-12 20:36:00 | Weblog
市の文化協会が後押しで、小学生に日舞の手ほどきを無料に近い月謝で教えている。

地元の有名流派である。娘が友人と一緒に孫娘を慣わせている。半年以上になる。

高弟が一人とほどほどの先生たちである。入門が少ないから啓蒙の意味もあるのだろう。

その家元は私の知人だが、あえて名乗らず一般と同じに行かせている。

文化協会も会長は知り合いだから、何かにつけて名乗らぬが良い。

正式に習うのら別として、日舞を正式に習うものなら大変である。

発表会などは娘夫婦では重荷である。話して聞かせても理解できない世界のようであった。

友人を誘ってまた一人増えた。その時刻の直後の5時からは塾なのだが、毎回遅刻状態。

15分前に会場で終わるのを待って車で送る積もりで出かけた。

会場を除いて驚いた。冬なのに、着ている着物がみな浴衣なのだ。無料に近いとってもお粗末。

帰宅して娘に「子供のときの着物が何枚かあるだろう」習うなら季節の着物ぐらいは着せるように話した。

私の作ってやった着物の半数以上は妹にお下がりしたのも知っていた。

中に上物もあり、それは貸すだけにした記憶があった。

生みの母に電話したらしい。帯はあるが着物はないという。

仕方なく今度は自分の箪笥を探させた。ないと言う。母屋の箪笥を調べて驚いた。

引越しを繰り返したので、こちらへ預かった荷物の中に何枚かあった。

ウールだが、アンサンブルの可愛い着物が出てきた。中学生の頃着せたものの普段着である。

一回り肩上げし、丈も詰めて丁度良い物が出来上がった。

探してもう一つ驚いたのは名古屋にいた頃。駅の地下街の専門店の若い店員が外交に来て交わされた男物が何枚か出てきた。

良い青年で、彼に魅せられて付き合った。家内も交互に買ったから、私と家内の箪笥は満杯なのである。

男物の紬が一枚あれば十分なのだが、ウールはなく、大島、紬が何枚かに絽の着物まで出てきた。久留米絣と浴衣を入れると何枚になるのだろうか。

博多の帯では満足せず、絽や紗に合わせた帯は逸品である。

何年も着たことのないお宝にわれながら呆れてしまった。

家内も同様で、めったに二人とも着なくなった和服である。

娘にもお茶とお花を習わせたから、その都度季節に合わせて作った着物が同世代の娘たちよりは多く持っている。

結納返しには婿にやはり上物の紬と和装一式を贈った。

それも皆、箪笥の肥やしになっているのだろう。

今日もテレビであるデパートが貸衣装のお古の安売りを行っている。

一枚何千円まである。日本文化の一つは花柳界以外には無用になってしまった。