青い鳥を常に求めて

人生の理想を追求する姿勢で何事にも当たりたい。

冷えた朝

2008-01-25 08:39:00 | Weblog
今朝は冷え込んだと見る。昨夜、婿が帰宅してから食事を買いに出た娘。

弟は買い物に喜んで付いて行くが、姉はイエスノウが言えるようになった。

パートに出ても3時過ぎには帰る娘だが、夕食が作れない。料理が嫌いなのか、DNAのなせる業か。

母親も殆どを亭主に台所をさせていた。仕方なく゜外へ子供をつれて出て美味しいものを食べさせていたらしい。

仕事の関係もあって、甥がタクシーの運転手になっていたから、昼間家にいることが半分あるからだった。

離れて済んでいたから、後で知ったわれわれである。

本家の我が家に子供がいないのを心配して甥は長女を後継者にしようとの善意だった。

不遇な子で、中学を出ると就職した。弟もそうであった。私の結婚がこのときで、弟だけでも高校以上をと援助するつもりだった。

兄が出ていないし自分は勉強が嫌いと就職した。父親が他の女性と一緒になって父なしの状態で家内が母親と子供二人を面倒を見ていた。

外で見ていて痛々しくて、そこからから開放させようと思ったときもあった。

寝たきりの父親を15年、癌の母親を10年面倒見た上で、兄の家族も養っていたのでした。

まず、そこからの脱出と思いましたが、それは無理。私がその中へ入って助けることでした。

早くなくなった甥は私を父と家内を母と思い育ちました。結婚もわれわれがさせて、離れに新婚家庭を持たせました。

今の娘は法律的には養女なのですが、育てるのは孫の感覚でした。

何年かして、独立させて別居したのだが、それからが今はやりの女性上位。

甥は大変な苦労の始まりとなったのです。どうせ家事をしないなら我が家の仕事の手伝いに来させた。

幼子は連れてきてわれわれが面倒を見た。現在の娘はわれわれを祖父母と思って育った。

肝心なときは甥夫婦の家庭環境が子供を育てた。其れがもろに現在出てきたのに驚いている。

家庭が面白くないから甥は良い勤めで収入も多かったが、女性に引っかかっては失敗した。

母性愛のあるやさしい女に弱かった。その都度勤務先の社長に私が詫びて後始末をした。

ある時期は女性と九州まで飛んでしまった。そのときは私の紹介で入れた会社は遠い親戚だった。

同世代の人の倍の給料をもらっていた。其れが災いして、水商売のやさしい女性と駆け落ちした。

半年後に呼び戻して家庭に落ち着いて得た職業がタクシー運転手だった。

彼の人間の良さを買われて大新聞の事件記者お抱えのタクシーとなった。

その記者は部長まで出世して、定年で退職したが、私も含めて親しい付き合いが続いている。

人の何倍も好きなことを繰り返したのが原因か40才の前厄の年にポックリなくなった。

ただ、別れを惜しんで1000人を超える参列者には驚いたり、私の最後にこれほどの人が泣いてくれるかと考えさせられた。

昨夜も変な番組で女が夫を躾ける、教育すると外前で話す番組で、腹を立ててみていました。

大和なでしこは何処へ行ってしまったのだろうかと・・・