青い鳥を常に求めて

人生の理想を追求する姿勢で何事にも当たりたい。

夕方の涼風が素晴らしい

2008-07-06 19:30:00 | Weblog
雷雨は早々に過ぎたが、その後、19時頃から吹き出した風。
やや強く、まさに涼風。
早く帰宅した娘一家。15時から静かだと思っていたら、いつの間にかいない。
やはり外で食事だ。ゆっくりしたいのなら、途中でご飯を炊いておいてと電話くれれば用意してやるのにと何時も思うのだが、そんなに炊事が嫌なのだろうか。
若い時、学生時代に自炊をした私は本当は下手な主婦より手際よく食事は作る。
家内が病気以外は手を出さないのは領海侵犯を守っているからである。
今時の電気釜がなくても、厚めの鍋があれば美味しいご飯は炊けるのである。
昔は「蒸しかまど」というのがあって、噴き終わった釜を下に炭火が少し入れた陶製のかまどに入れて蒸す。
それはふっくらとした美味しいご飯ができるのである。
東京の学生時代はそんなものはないから、鍋で炊き終わったら、布団でそれを包み、30分ほど蒸らすのである。
友人達は美味しいご飯におかずは要らないと、たちまちに大なべのご飯は空になった。
田舎から送ってくれた米は、一週間と持たない。友人達が交互に食べに来るからであった。
料理は愛情と言う。皆が喜ぶ顔が何より嬉しいことだった。
その代わり、その中の一人が家から仕送りが届くと、それで一杯飲みに新宿へ皆で出かける。映画を見るのも数人が一緒である。
当時の友は皆心が広かったと思うのである。

朝から強い日差し

2008-07-06 13:51:00 | Weblog
正午に33度は越えたのではないかと思う。隣の駐車場の若夫婦が草刈と掃除に来る。しばらく会わなかった親さんを聞くと3年前に他界したと言う。
昼前に、和紙工芸家のご主人を見舞う。
当市の美術協会役員会で子息に会い、人工透析に通院と聞いた。私に宜しくと伝言があった。一ヶ月前だった。
気になっていたから今日出かけた。手持ちのビタミンC粉剤と健康茶を元気付けに持参した。
奥さんのちぎり絵の大作を上野の美術館に出口の一等場所に飾った。
初めて工芸としてちぎりえの作品を公募展に採用した年だった。
島根の和紙産地の先生の流れを組んだ伝統ある会の一員で、この地区で大勢の弟子を持つひとだった。
ご主人が病気がち、看病と孫の面倒で疲れて早く他界してしまった。
行くと、ボランティアの女性が来ていた。子息も昨年定年になった高校の先生で書道家である。男2人だけの広い家、庭は手入れの行き届いた何種もの松だけが元気だった。
昔、お世話になったとしきりに私に会いたがって呉れていた。
腎臓と糖尿病が合併している。
健康の大切さを思い知らされた。持参した妙薬で少しでも長生きされることを祈った。
この都市の西の端まで車を飛ばしたのだが、往復20キロ以上になった。ガソリンが高騰してから、今まで見たことのない走行距離を見るようになった。