青い鳥を常に求めて

人生の理想を追求する姿勢で何事にも当たりたい。

蝉を捕まえてという孫

2008-07-24 19:36:00 | Weblog
夕方、我が家の壁に、公園の木に盛んに泣き出した蝉。
たもを持って行って、捕まえた。
娘の家の玄関で呼ぶと孫が出てきて、触りたいが恐ろしい。
捕まえて持たせてやる。何事も経験である。それを見て言うだろうと思った娘の一言。
「汚いから部屋へ持ってこないで」である。
姉は卒業して黙って見ている。何年か前にカブトムシ、クワガタを採りたいと近くの林に私を連れ出したことがあった。
蝉は紙の箱に虫ピンで並べて止めて標本を作ったことがあった。夏休みの作品に持たせようと思ったら、誰も作らないから止めるという。時代が変わったのだと思った。
生き物からその命、生態系を学ぶ。そして、人間の命の大切さを学ぶ。ゲームなどばかりしていると、実在感のない架空のものばかり相手にするから、人の痛み、命の重さも分らなくなってゆくのではないか。
娘夫婦は2人ともそれをしない、できない世代であるり。PCよりゲームが好きな大人になっている。
幼稚園の孫にも一通り体験させてあげようと思う。私は田舎へ疎開した折、全てを教えてくれたのは父親だった。
子供の頃の体験は今日に受け継がれている。
動物、昆虫所謂生き物との付き合いがかけているのが今の犯罪者達なのでないだろうかと思うようになった。
母親だけが相手で、父親とは距離ができて話しさえしなくなる。
ますます、自分が閉じこもってしまう。
自分の家族だけではない近所の子供とも私は良く遊び、教えたり、蛙、ザリガニ、魚などを取りに連れて行く。
今は彼らが中学生になっている。すれ違うと恥ずかしそうにしながら親しく挨拶を呉れる。
そんな人間関係を大人が次の世代を健全に育てる義務があるのではないだろうか。

日が強くなると現れた黒い蝶

2008-07-24 16:40:00 | Weblog
庭に幾つか飛び交っている。孫達に勉強にと一つ捕まえた。
虫かごで観察し、午後、静かになったので、孫達が心配するので放してやった。
夏休みの昆虫採集が我々の子供時代の宿題でもあった。
今はできないのと、可哀想とて、虫ピンで止めることに抵抗があるようだ。
種類はクロアゲハのようだが、携帯電話かめらだから、やや、ピントが甘い。
20080724

photo by oyuhoh


我が家の朝の騒動

2008-07-24 10:15:00 | Weblog
血圧の薬があと2日分になっていたのを忘れていた。
本当は何も食べないで、次回、血糖値の検査をする約束を先生としていた。
出かけようとすると下の孫が来て「ママを車で乗せていって」と言ってくる「病院へ行くからその前に送るから、ママに早く来なさいと言いなさい」といって隣の玄関へ顔を出す。
「違うの。子供達のお昼のことと他を頼みたいの。母さんに」と出かける寸前に子供をよこす。
「頼むなら昨日のうちに自分で何故言わない」と小言が出るが、家内を呼んでこさせる。
診療所は先生が違う。診察を終えて、薬を貰い「先生代わったのですか」と聞いた。「木曜日と金曜日は今の先生です」と聞いて初めて自分が月曜組みと気がついた。
帰ると孫2人が伸び伸びと家内の用意した朝食を食べている。
「良かったな。ママが仕事に行くと、ばあばのご飯食べられるな」というと「うん。天国だよ」と下の孫。家内は大変だが、孫達はまともな食事とやたらと叱らない我々に安堵するらしい。

古い写真

2008-07-24 07:57:00 | Weblog
2001とあるから7年前になる。日仏美術展を岡崎で開催したことがある。
フランスの超ビップが審査に来て評論も夜までかかったのを思いだす。
授賞式に来られなかった女性作家が後日受け取りに来た。
一年で閉鎖の美術館だったが、岡崎否、日本でも二度とできない現代フランスの巨匠達の作品が数十点と同数の日本人作家である。
高度すぎで、マスコミと関係者以外理解できないで終わった。
ビルの6階を全部使った贅沢な空間だった。
ビル側が持ちこたえられなかったばかりではなく、私も一年が精一杯の浪費であった。
勿論、東京のM氏、愛知のO氏達の協力がなければでき得なかったイベントではあった。
20080724

photo by oyuhoh