サークル申請のところが見つからず、OCNで教えて貰って、立ち上げる。
ログインのところで、サークル検索と並んでサークル申請と言うところが見つかった。
折角、OCN会員になったのだから、衰退する日本の盆栽に嘆いていないで、web上のお仲間を探そうと思った。
園芸、ガーデニングはあるのだが、盆栽と言う活字さえどこでも見なくなったのが淋しい。
日本で著名な愛好家は高齢で、次々となくなったが、その後継者がいない。
守ってゆけないから、競売に掛ける。どうしても安値で取引されてしまうのである。
大量に栽培していた愛好家は、人を雇いまたは、業者に依頼して水遣り、手入れ一切に、相当の費用が必要だった。
後継者にはその力と愛着がないというのが実情である。
立派な庭を持つ老人の家も其れに似ている。主が住むと、後継者には庭に興味がいないから、手入れに何十万もの経費を庭師に払うのが惜しくなる。
家を売却するか、取り壊す。長年管理してきた庭の老木も廃棄物扱いで、捨てるのにまた、お金を掛ける時代になってしまった。
価値観の違いなのだろうか。その良さは外国人にだけ分かると言うのは情けない。
知人の盆栽屋さんが、盆栽教室を市からの以来で開いている。
お正月用に松竹梅の寄植えを作りたいと生徒は言う。
まともな材料で作ろうと思うと、如何に安く見積もっても5千円以上になってしまう。
その価格では生徒は着いて来ないのでと嘆く。
一体全体日本人の感覚はどこへ言ってしまったのだろうか。
西洋の汚い色のビニールバックが何十万もする時代。皆と同じバックを持つのが女性の好みだという。
イタリヤへ旅したときである。同じグループの女性はブランドショップでバックを買う。
私は隣の職人の店で、本物の皮の手作りバックを買った。
どう見てもこちらの品質は数倍良いのだが、価格はあちらが10倍以上高いのである。
この価値観の違いが正しいのか、何時も帰国しても私の頭から離れない。
私が間違っているのか、彼女たちが間違っているのかどちらかなのである。
価格に相当する材料を使用して、老舗のパリやミラノの製品を買う。
其れならば納得できる付加価値が着いているのだが、流行だというビニールバックに大金を投じる若い女性たちの感覚を疑いたくなるのである。
盆栽がブランドバックに話がとんでしまったが、ものの価値と言うものは誰か人間が作り出し、大衆はそれに引きずられる。
簡単に言うと、自分を持たない人が、誰かの美意識のまねをする。
そんな情けない人たちに見えて仕方がないのである。
私の偏屈なまでの表現は、有名ブランドをCCマーク、象印バック、と表現して女性軍の顰蹙を買っているのも事実である。
老人趣味のサークルに如何に同好の志を集めるか苦労しそうである。
サークルの名を「日本の伝統である盆栽を守る会」と長ったらしい名前をつけた。
ログインのところで、サークル検索と並んでサークル申請と言うところが見つかった。
折角、OCN会員になったのだから、衰退する日本の盆栽に嘆いていないで、web上のお仲間を探そうと思った。
園芸、ガーデニングはあるのだが、盆栽と言う活字さえどこでも見なくなったのが淋しい。
日本で著名な愛好家は高齢で、次々となくなったが、その後継者がいない。
守ってゆけないから、競売に掛ける。どうしても安値で取引されてしまうのである。
大量に栽培していた愛好家は、人を雇いまたは、業者に依頼して水遣り、手入れ一切に、相当の費用が必要だった。
後継者にはその力と愛着がないというのが実情である。
立派な庭を持つ老人の家も其れに似ている。主が住むと、後継者には庭に興味がいないから、手入れに何十万もの経費を庭師に払うのが惜しくなる。
家を売却するか、取り壊す。長年管理してきた庭の老木も廃棄物扱いで、捨てるのにまた、お金を掛ける時代になってしまった。
価値観の違いなのだろうか。その良さは外国人にだけ分かると言うのは情けない。
知人の盆栽屋さんが、盆栽教室を市からの以来で開いている。
お正月用に松竹梅の寄植えを作りたいと生徒は言う。
まともな材料で作ろうと思うと、如何に安く見積もっても5千円以上になってしまう。
その価格では生徒は着いて来ないのでと嘆く。
一体全体日本人の感覚はどこへ言ってしまったのだろうか。
西洋の汚い色のビニールバックが何十万もする時代。皆と同じバックを持つのが女性の好みだという。
イタリヤへ旅したときである。同じグループの女性はブランドショップでバックを買う。
私は隣の職人の店で、本物の皮の手作りバックを買った。
どう見てもこちらの品質は数倍良いのだが、価格はあちらが10倍以上高いのである。
この価値観の違いが正しいのか、何時も帰国しても私の頭から離れない。
私が間違っているのか、彼女たちが間違っているのかどちらかなのである。
価格に相当する材料を使用して、老舗のパリやミラノの製品を買う。
其れならば納得できる付加価値が着いているのだが、流行だというビニールバックに大金を投じる若い女性たちの感覚を疑いたくなるのである。
盆栽がブランドバックに話がとんでしまったが、ものの価値と言うものは誰か人間が作り出し、大衆はそれに引きずられる。
簡単に言うと、自分を持たない人が、誰かの美意識のまねをする。
そんな情けない人たちに見えて仕方がないのである。
私の偏屈なまでの表現は、有名ブランドをCCマーク、象印バック、と表現して女性軍の顰蹙を買っているのも事実である。
老人趣味のサークルに如何に同好の志を集めるか苦労しそうである。
サークルの名を「日本の伝統である盆栽を守る会」と長ったらしい名前をつけた。