青い鳥を常に求めて

人生の理想を追求する姿勢で何事にも当たりたい。

夜になって雨

2008-12-21 19:15:00 | Weblog
曇天で思い空、降りそうで降らずに何時に地が過ぎた。

明け方3時過ぎに帰宅も正確に言うと飲酒運転になるかもしれない。

絶対運転しない彼だが、昨夜はそれ程飲まなかったのかもしれない。

朝もゆっくり起きて、昼近くから出かける。朝食券昼食であろう。

注文の品の到着日でわれわれは午前中外出せず、午後、食パンと切れた品を買いに出る。

私の買い物は1時間はかからない。不景気とは聞くが、スーパーは満員。

公務員は平年並みだからかもしれない。

2時過ぎに帰宅の娘一家。感心していると孫たちを下ろしによっただけらしい。

二人でまた出かけた。反面教師の効果か最近、孫は掃除に熱心である。

庭のセメント部分を若いものたちの守備範囲にしているのだが、親たちは一度も掃除をしたことはない。

留守番の姉が先ず、「じいじ!お掃除する」と出てきた。弟もそれに習う。

家内も出て、それぞれに、気がついたことをし始める。

小一時間ですっきり片付いた。ぶら下がっている空模様に、干してある洗濯物を孫に手伝って取り込む。

洗濯機を回すだけの娘。干すのも、日曜日の朝は婿が干すが、他は全部取り込んで畳むまで、しないと気がすまない家内゛たった。

ある日、下の孫が飛んできた。「ママとおねえちゃんが、ばあばの畳んだ洗濯物に鼻水がついていたっていっているよ」「鼻くそも」

われわれは意味が分からず、「駄目だよ変なことを言って」と取り合わなかった。

また引き返して来て、大好きなばあばの悪口を言っていると怒っているのである。

遂に、家内が意味を正しに出かけて行った。姉は「違うの。違うの」と手を振って取り消している。

娘がそこで「二度か三度あったんだわ」と口にした。

それを聞いても私も意味が掴めない。洗濯物に鼻水、鼻くそという幼稚な表現が理解できないし、ありえない。

痕跡も残るわけもない。

それ以来、一切手を出すなと命令を出した。

今までの変な干し物が始まった。夕方、取り込まず夜通し放置していて、次の日の日を浴びてから、昼前に取り込む。

日曜日だけはできるが、このやり方だと平日はできないから、沢山、溜め込んでいる。

見かねて、家内が干しに出るが、断固それはさせないでいる。

今の季節は夜露が、霜が大量に降りるから、地面が雨上がりのように濡れるほどである。

これを干したままの洗濯物に降りるのだから、乾くどころか、濡れてしまう。

今日は孫に教えて、三人で取り込んだ。
庭の掃除を終えたところで、家内が紅茶を入れて、三人が飲む。

取り込んだところで、りんごをむいてもってきた。「アワー!美味しそう。ウサギさんだね」と飾り剥きの皮のついた一片を手に取る。

弟もそれに習う。田舎の弟からの福島のりんごである。一箱の半分を若い者たちに渡してあるが、一個も食べていない。

皮をむいてテーブルへ出しやると二人とも食べるが、娘はそれが面倒なのかもしれない。

しばらく後に帰宅して、孫を乗せて、食事に出かけた。

未だ帰らず。明日は終業式だから、良いものの、子供らしい生活パターンが守られない家庭である。

われわれが手を出さねば、一体、どんな生活になるのか考えてしまう。

小学生の孫娘にどんどん手伝いをさせるのだろう。



明け方の3時過ぎ帰宅の婿どの

2008-12-21 08:16:00 | Weblog
孫娘がこちらへ泊まり、夜は婿が忘年会で酒を飲むから帰らない。

久しぶりに満足の孫娘。それに反して弟は哀れ。

家内と孫でハンバーグを作る。中々の美味。下の孫にも母親にも食べさせてやりたいが、姉はこの日は誰も寄せ付けたくない日だ。

家内が二人分のハンバーグとご飯他をお膳で運んでやる。

こちらが昼食というのに、弟は何も食べさせて貰えない。喜んで食べたという。

昼過ぎに我慢ができず弟もこちらへ、早速果物を食べる。

母親はと聞くと「お腹が痛い」とコタツで寝ているという。

詳しく聞くと、ハンバーグ一個だけを食べさせて、ご飯は食べていない。

こちらでまたご飯を食べさせる。姉もこの時刻には拒否せず、一緒に庭で遊ぶ。

そのうちに、いつの間にか静かになったと思うと母子はどこかへ出かけたらしい。

名古屋で新婚時代と姉の幼稚園時代にマンション暮らしで独立させたのが仇。

私の嫌いな言葉である自由。生活もだれにも指図されない自由が身についている。

出かけるとき、帰っても言葉はない。二世帯ではない独立の棟にしたのにも問題はある。

自分の自転車に下の孫、姉は子供の自転車でスーパーへ行ったらしい。前もって孫からはそれらしいと聞かされていた。

暗くなっても帰らない。心配で電話する。「自転車だから、明るいうちに帰りなさい」というと「大丈夫」と帰ってくる。

パパが飲み会だから、外で食事なのだろう帰宅は8時を過ぎている。

最近は幼稚園の父兄からが多いが、よく聞かされる。スーパーで会った。しかし、婿と姉は車中で待ち、弟を連れてママは買い物のケースが多い。

疲れていても出かけるから婿も付き合いきれないのだ。

帰宅したら食事を並べて待つ。これが通常の家庭だが、おかずが難しいとて、買い物に行ってからの食事か、外食である。

お腹をすかして帰る婿だから、何でももりもり「美味しい」と食べるお手本のような婿である。

家で、家族で、寧ろ、われわれも一緒に食べたいのが彼である。

時刻に開きがあるから、無理もあるが、料理好きで上手な家内の料理が婿は大好きなのだ。

料理学校まで行かせた娘が料理が嫌い。特に、パートに出るようになってそれがひどくなっている。

パートの収入は外食で消えるどころか、マイナスだと孫娘が言うようになった。

今のところ、料理大好きの孫娘である。

結婚すると変わるのか私には自信が持てない。

誰でも誠心誠意がモットーに生きてきた私には現代風なのか、娘の生き方が理解できないのである。

書きながら、普通の人は家庭内の恥に似たこれらは書かないのだろうと思いながらキーボードを叩いている。

不遇な甥の子供を孫のように可愛がり、本人の希望で養女にした。

われわれを祖父母のように慕い、高校、大学時代は我が家で生活となった。

子供時代も密な関係で、甥もその嫁もわれわれを親と慕い。

本家のわれわれに子供がないことから、甥の希望もあったし、好意でもあったと思う。

その孫のような娘が、結婚と同時に急変した。婿は小規模企業だが、社長の息子というので、年齢以上の収入が得られた。

われわれの世話になることが負担になっていたらしい。

不徳の致すところである。誠心誠意は彼女に通じない。

今度は世話にならなくて良いと思うらしい。それでいて、都合の良い時は「親だから当たり前」と言う。

甥の家庭の再現になっている。三つ子の魂百までという格言を目の当たりにしているのが現状である。

台所を男がする家庭だったらしい。事情があって甥はわれわれ夫婦を親のように思っていた。

あるとき、出入りの電気やの主が納品に行って、驚いていう言葉に「ひどい言葉を使う奥さんで甥ごさんは可愛そうです」だった。

それを聞き流していたが、子供にその姿を観て、今頃、分かった愚か者がわれわれだった。

予科練帰りの父親が腰が座らず、家に寄り付かず、母子家庭そのものだった。

土木の大きな会社を運営していた父が脳梗塞で倒れて10年、母親が癌で7年病む家庭になっていて、会社は使用人に取られてしまっていた。

結婚後、私が脱サラして経営するからと兄に呼びかけたが人を使うことはできないと断られ、勿体無い暖簾を無駄にした。

考えると親戚筋の番頭格の人間が兄に継がせない様に図ったのだった。

両親の長患いを看ていた家内が柱となって父母、兄嫁と子供を見ていたことになる。

途中から私と結婚。二人でこの家族をともにした。そこへ父の姉も独り者となって転がり込んできた六人家族である。

兄は遂に外へ女性を作り、出てしまっていた。

甥は二人いて、高校は是非にと勧める私の言葉は勉強は嫌いだからと就職した。

二人は女手で育ったからか、優しい心使いのできるものだつたから、就職先では可愛がられた。

長男は悪い女に接することが多くて、収入を取られることが多かった。

早く良い相手をとかないの後輩で、私の会社で採用する女学校一番人気の卒業生を結婚させた。

所帯は我が家の離れにとりあえず持たせた。二年後、嫁の里の近くへ独立させたことが間違いの始まりだった。

前記の電気店の主の言葉のような生活だったらしい。里の母親が新興宗教に凝っていて、嫁もそれで家を空けることが多く、炊事や子供の面倒は甥がしていた。

いつの間にか父親同様に優しい女性に心引かれて行った。

ボーナスを貰って、会社を辞めて九州の女の里へ家出してしまった。

会社へ詫びに私が行くと、褒められることばかり、戻ったら会社でまた働いて欲しいと言う。

似た現象を繰り返し、その都度私のコネで次の会社をへ入れる。

それが皆良い会社で、ボーナスは私より多いことが多かった。

不況業種の私が分割で賞与を受け取る時でも彼は3ヶ月のボーナスを手にしていたが、それが災いした。

そのような甥の子供だから、私たちには孫そのもの、生活の過半数をわれわれが見ていたし、血は通わないが、ここの通う孫と祖父母の関係であった。

大学を卒業しても就職をさせず、女の勉強をと料理、茶、華道を習わせた。

その私の盲愛が原因だと家内は言う。

自業自得と諦めて、今は、また、二人の孫に傾注しているのだから、それがわが運命と思っている。

可愛いくて仕方がないのである。過干渉なのは今も続いている。

最近は姉の学校へ行っていないときに甘えることを覚えた弟が、私にまとわりつく。

それがまた可愛い。この二人は、幼年期からわれわれと一緒で、母親とは違うと思ったりしている。

可愛がらせて貰っていることに感謝すべきなのだが、娘は、なるべくわれわれに取られまいとする。

車を使う時は良いのだから勝手な話でもある。

要するに、甘ったれの人間を作ったのは私だと責められている。