ピーナッツの唄

毎日の出来事や、スポーツ観戦、読書や映画等の感想を中心に、好奇心旺盛に書いています。

我が青春のアイドル

2007-12-24 18:35:09 | 独り言
NHKTVで2つの特集番組を観ました。 

プレミア10の加山雄三さん。
今も現役で頑張っている彼は、弾厚作のペンネームを持つ作曲家でもある。彼は当初は映画俳優としてデェビューした。東宝映画の若大将シリーズで一躍スターダムにのしあがる。さらに彼が作曲し、彼が歌うことから歌手としても有名になった。往年の名優「上原謙」の御曹司でもあるところから、当時の若い人達の憧れのアイドルでもあった。
小生は残念ながら映画の若大将シリーズは観ていない。しかし黒澤明監督の「椿三十郎」(三船敏郎主演)の若侍のリーダ格の役を務めた(最近は織田裕二主演でリメークされた。今回の映画では松山ケンイチの役である)映画を観ている。さらに、黒澤明監督の「赤ひげ」(三船敏郎主演)の映画では長崎帰りの若き医師見習いとして出演していた。もちろんこの映画も観ていました。だからむしろ歌手としてより俳優の彼に好感を持ったのでした。
小生は青春歌謡路線の彼の歌にはあまり興味がなかったが、事業の破産や負傷事故にも遭いながら70歳になった今も現役として頑張っている事は称賛に値すると思う。新しい歌にも積極的に挑戦する姿にも感動しました。
彼については我が夫婦にも思い出がある。昭和40年に結婚したあと、夫婦で近くの宝塚レジャーランドに遊びに行った。そして夕食に宝塚ホテルのシャリアピンステーキ(当時有名だった)を食べるためにレストランに入った。ところが偶然に隣の席に若大将役加山雄三さんと、青大将役田中邦衛さんが2人の女性と共にステーキを食べて大声で話していたのでした。
今回のTV番組を観ながら、我が夫婦も若き日にアイドルの彼を「生」で見たことを懐かしく思い出したのでした。

石原裕次郎没後20年・祐さんへのラブレター。
20年前に52歳で亡くなった石原裕次郎さんも、小生の青春の一ページをかざるアイドルのひとりでした。
現在は東京都知事の兄石原慎太郎さんがベストセラー作家として「太陽の季節」で強烈なデェビューを果たした。その映画に弟の石原裕次郎さんが出演し、引き続き「狂った果実」の映画に初主演したのでした。
その後に何本かの映画に主演したが、映画の「嵐を呼ぶ男」の中で主役のドラマーが敵役に手を負傷させられる。そこでとっさに歌を披露する場面があった。その歌声が評判になり、その後は歌手としても評判になった。
しかし彼は日活映画の青春路線に反発して独立する。しかし当時は映画会社が5社協定と称して大手5社以外の映画製作や俳優の独立を認めていなかった。苦労の末に石原プロモーションを立上げて映画を製作する。「太平洋ひとりぼっち」や「黒部の太陽」などが代表作だ。その後はTVドラマにも進出して、石原軍団を作り上げる。
しかし事故での負傷や病魔には勝てずに52歳で世を去ったのだった。
番組では大看板同士の結婚で周辺の反対にも負けずに一諸になり、永く石原裕次郎さんを支えた北原三枝さんが思い出を語る形で進められる。
小生夫婦にとっては、映画よりもTVドラマよりも、今でも彼の数々の歌声が心に残っている。

加山さん同様に祐ちゃんの歌声も小生の永遠の青春の思い出につながる。

コメント
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