ピーナッツの唄

毎日の出来事や、スポーツ観戦、読書や映画等の感想を中心に、好奇心旺盛に書いています。

歌人 齋藤茂吉氏

2008-03-15 17:48:32 | 読書
朝日新聞be欄「愛の旅人」に歌人齋藤茂吉と永井ふさ子の愛の遍歴を取上げている。あまりに著名な歌人の齋藤茂吉氏は小生の実家の隣村に生家があった。若くして同じ村の出身者であった、齋藤紀一氏の養子となり、東京の青山脳病院を継承した。歌風から見て、茂吉氏には謹厳実直な感を懐いていたが、氏が死去した10年後に歌の門人でもあった、永井ふさ子さんが茂吉氏の書簡を公開して交流を明らかにしている。あらためて齋藤茂吉氏の人間くささを知って驚いた記憶がある。
ご存知の方も多いが茂吉氏の長男が精神医の齋藤茂太氏であり、次男が作家の北杜夫氏である。そして奥様の輝子さんは89歳で亡くなるまで、ご主人の生き方に反発する如く、世界旅行を趣味として、南極やエベレストも含めて108国を旅した方としても有名だった。

小生は若いときから齋藤茂吉氏の歌を好んで読んでいたが、郷里を詠んだ歌の幾つかを紹介してみたい。

● 「陸奥をふたわけざまに聳えたまう 蔵王の山の雲のなかに立つ」
(小生の好きな歌のひとつだ、蔵王山頂に句碑がある)

● 「雪消えしのちに蔵王の太陽が はぐくみたりし駒草のはな」
(蔵王の山頂近くの岩の間から可憐な花を咲かせる、高山植物の駒草は保護されている)

● 「立石寺の蝉を聞かんと来しかども 雨降り蝉は鳴くこともなし」
(芭蕉翁が山寺で詠んだ俳句、その日に合わせて東京から訪ねてきが生憎の雨だった)

● 「最上川逆白波のたつまでに ふぶくゆうべとなりにけるかも」
(最上川の流れにさからって吹く風も、みちのくの冬は荒く厳しい、大石田に疎開した時の歌である))

あらためて茂吉歌集や、生前の父の友人で上山市長も務めた鈴木啓蔵氏の「茂吉の足あと」S49年出版(小生が実家に帰宅した時に、著者より贈られたこの本を、父が持たしてくれたもの)を取り出して読んでいる。多少若いときから文学好きだった小生を思って亡父が呉れたのだった。これも懐かしい想い出である。
郷里山形に帰った時には、あらためて藤沢周平氏と齋藤茂吉氏の思いでの地を巡って見たいと思う。何とか早く叶えたい。


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする