ピーナッツの唄

毎日の出来事や、スポーツ観戦、読書や映画等の感想を中心に、好奇心旺盛に書いています。

18歳成人論に寄せて

2008-03-24 16:49:45 | 独り言
成人年齢を18歳に引き下げ論がでている。同時に18歳ではまだ成熟していないとの反対意見もある。日本並みに20歳としている国は、マレーシア、シンガポール、台湾と中央アジア、中東、アフリカの数ヶ国しかないらしい。世界の大多数が18歳以降を成人としている。だから日本でも18歳以降を成人として扱おうということだろう。
しかし日本では果たして18歳以降を成人として宜しいのかというと、必ずしも成熟した若者として、受け入れるのには抵抗がある。小学低学年までは、子どもはぐんぐん伸びる。知る喜び、大きくなる喜びと責任感で伸びる。だが大きくなるにつれて伸びたがらくなる。社会が「そんなことは無駄だ、要領よく立ち回り、面倒は人に押付けろ」と毎日教えているからなのだ。
若者が学び、成熟し、伸びることを社会が抑えつければ、若者は学びたがらず、成熟したがらず、伸びたがらなくなる。大人も子どもも伸びたがらない国は、早晩、世界の成長し、成熟していく国に後れをとることになる。

日本に留学している外国人のうち、よく勉強をしている韓国や中国の留学生が、異口同音に「日本ほど学ぶことを馬鹿にしきっている社会はみたことがない」と言うそうだ。日本の社会では、学校でやったことは役にたたない、という言い方が充満している。学校で勉強するのは空気の読めない「KY」だけであり、寝るところと思っている者が多いからだ。日本の大学は入学するのは大変だが、入学してしまえば、卒業するのは容易だとの説がある。だから大学は勉強するところではなく、遊ぶところと心得ることになる。3年生の後期には企業が青田刈りで、入社内定を出すから、4年生は益々安心して遊べることになる。そして企業にそうした社員が入社してくる。そして日本の社会ではさらに成熟しきれない大人たちが多くなる。
海外では反対である。大学に入学するのは容易だが、卒業するのが大変なのである。学生は猛烈に勉強することを要求される。

18歳成人論を唱えるなら、わが国のこんな現状の教育のあり方を、再考することも必要であうと思われる。

コメント (6)
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