1966年、文化大革命で破壊された、広州市のNO1ホテル、羊城賓館
前に有った伝説の像(当時はカラー写真が無いので、白黒です)
私が、初めて海外出張したのが1966年で、中国の広州でした。
まだ、国交正常化はしておらず、時の総理は日本は田中角栄、
中国は周恩来両首相で、日中国交正常化調印は1972年、
私が中国に出かけたのは、これより七年も前の事です。
勿論日本では中国の入国ビザが取れず、先ず香港へ行き
2日間掛けてビザを取りました。
香港から汽車で国境まで行き、国境を歩いて中国に入り、
又汽車に乗って広州に入りました。
折りしも、文化大革命の最も激しい時期で、何回か怖い思いもし、
恐ろしい事件を目の当たりにしました。
先ず、ホテルを出てから戻るまで、通訳は兎も角、
共産党政治局員が同行します。
スパイ行為の監視の為です。
写真を撮る場合は、この政治局員に許可を取らないと疑われ、
間違えばスパイ容疑が掛かります。
街で中国人と話をしても怪しまれ、寧ろその中国人は、
速やかに何時・何処で・誰と・と゛んな話をしたかを報告しないと、
スパイ容疑と言うより、スパイとして、連行されます。
写真は、私の滞在した広州市の、羊城賓館の玄関先の丘に
建っていた伝説の羊の像ですが、ある朝、紅衛兵によって、
予告もなく壊されていました。
過って中国南部では、食料が不足して、多くの人民が飢えに苦しみ、
多くの餓死者も出していました。
ある日、何処からともなく、羊か稲穂を加えてやって来ました。
人々は、その稲穂を撒いたところ、忽ち大豊作となりました。
人々は、その羊に感謝し、子々孫孫まで伝えようと、
町の中心部の目立つ処に、大きな羊の像を建てたのでした。
時は立ち、文化大革命が中国全土を襲いました。
羊城像破壊の理由は、「伝説ではひもじさは癒えない」でした。
中国に入って一カ月、一瞬たりとも、恐怖心なと゛
持ち合わせなかった私に、此の頃から、言い知れぬ恐怖心
のようなものが、胸につっかえるようになりました。
続く