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色々考えても答えは出ないまま、雪は子供達のいる教室へと入った。
担当児童は、小さな女の子だった。思わず顔がほころぶ。
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雪が挨拶をすると、女の子も小さく返してくれた。
雪は女の子に近づき、「お名前は何かな~?」と顔を寄せる。
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しかし女の子は手遊びに夢中で、雪の質問は聞こえないようだった。
なんとか注目させようと雪は自己紹介などしてみるが、女の子は全く雪の方を見ず、名前も言わなかった。
「あ」
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女の子のノートに、「くらのあい」と名前が書いてあった。
雪はようやく知れた女の子の名前を呼びかけるが、依然として反応しない。
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すると雪は担当者から呼ばれ、女の子についての説明を受けた。
「愛ちゃんは脳の方に障がいを持っている子です。
記憶障がいがあって、一度教えてもなかなか覚えられません」
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倉野愛は、先週から数字を習い始めたという。
担当者は、今日は数字の1から6まで繰り返し教えるよう指導して去って行った。
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雪はふぅ、と息を吐くと覚悟を決めて愛の向かいに座った。
今日はお姉ちゃんと数字の勉強をしようと言って、教科書を開く。
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子供を教えるのは、まして記憶障がいがある子どもを前にするのは経験がない。
しかし雪は自分なりにやってみようと、愛に向かって数字の「1」のページを開いて見せた。
「愛ちゃん、これは何かな~?」
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しかし愛は指先で遊ぶのに夢中でこちらを見ない。
注目させようと必死で呼びかけると、なんとかこっちを見てくれた。すかさず教科書を見せる。
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しかし愛は数字を見てもピンときていない。
この数字は何か、という質問にも「分かんない」と返ってくる。
「これは1!だよ。いーち」
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雪が身振り手振りとおどけた表情で一生懸命そう教えると、愛の指がぎこちなく動いた。
「いちぃ‥」
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雪は愛の反応が嬉しくなって、もう一度言ってみようと続けて教えた。
授業時間が終わるまで、雪と愛は向かい合って勉強した。
「タバコ一本だけ吸わせて」 「ああ」
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一方こちらは、掃除チームに配属された柳と淳だ。
ゴミ捨てが終わると、柳はその場でタバコを取り出した。
「あ、そうだ」
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そう言って柳が話し始めたのは、横山翔についての話だった。
彼は一年間の休学の末、次の学期から復学する。
最近横山は去年皆を騒がせた反省の意味だと言って、学科の人間と連絡を頻繁に取り、ご飯をおごりまくっているという。
すると去年あれだけ横山を邪険にした彼らは、180度態度を変えて横山をもてはやしているらしい。
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淳には初耳な話だった。柳が言葉を続ける。
一度柳も横山に呼び出されて彼と会ったと言った。
横山は携帯を変えてからミスって淳の番号を消してしまい、今まで連絡出来なかった旨を伝えておいてくれるよう柳に頼んだ。
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見え透いた言い訳だ。
そう柳が言うと、淳は別に気にしてないと言葉を返した。
「‥そういや、あいつちょっと変なこと言ってたな」
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横山は言ったのだ。
”福井太一と赤山雪がデキてる”と。
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今まで自分には無関係な話だと思っていた淳が、ふと動きを止めた。
二人の脳裏には、どう見てもちぐはぐなカップルの姿が浮かぶ‥。
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柳は淳と雪が既に付き合っていることを知っていたのでまるで信じなかったが、
一応淳には言っておこうと思って話したのだという。おかしなことを言う奴だから変な誤解しないように、とも。
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ふぅん、と淳は含みのある声を漏らす。
そんな淳に構わず、柳はパッとした笑顔を浮かべて言った。
「ともかく!お前らがこうなるなんて、俺は夢にも思わなかったぜ~!」
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柳は淳から赤山と付き合うことになったと聞いた時、不思議でしょうがなかった。
なぜなら去年の彼らはといえば、互いにそっぽを向き合って挨拶すら交わさなかったからだ。
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中でも文化祭の話し合いで二人が衝突して以来は、険悪な雰囲気すら漂っていた。
柳は一度淳に赤山との和解を勧めたが、彼は全く取り合いもしなかったのだ‥。
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今の淳といえば、穏やかな笑みを浮かべていた。
どうやって付き合うことになったのかという柳の質問に、一緒に過ごしている内に自然に、と淳は笑って答える。
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柳は更に踏み込んだ質問をする。
「てか、どこまでいったんだ?」
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肘でコノコノ、と淳を突いて来る柳に、呆れながら「何言ってんだよ」と彼は答えを濁す。
何と言っても二人は、ついこの間付き合い始めたばかりなのだ。
「出来るだけ雪ちゃんに合わせてあげようと思う」と淳は続けた。
柳は頷きながら、今までまるで男っ気の無かった赤山雪を思いながら言った。
「けど赤山って顔に似合わず純粋そうだよな。これから色々と大変だろうなぁ」
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ハハハと笑う淳に、柳はもう一度「おめでとさん」と言った。
ありがとうと返す淳に、柳はもう一度肘でウリウリと突く。
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もうお昼休憩の時間が迫っていたので、二人はそのまま教室へと帰って行った。
淳が教室に入ると、既に仕事を終えてその場に居る雪と目が合った。
「あ、先輩」
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笑顔を浮かべてはいるが、どこか硬い表情に見える。
彼女は色々と手こずっていると答えた。
「前にもボランティア経験あるって言ってなかったっけ?」
「お年寄り相手にはあるんですけど‥。子供を相手にする方が難しいですね‥」
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でも頑張らないと、と言う彼女に、淳は微笑みかけて肩を抱いた。
「心配ないよ。雪ちゃんはいつも上手くやるじゃないか」
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彼女の身が強張る。
表情も硬く、そのまま雪は俯いた。
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そのぎこちない反応に、淳は無言で彼女を見つめた。
明らかにいつもと違う。
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雪は淳の視線に気がつくと、場を取り繕うように大袈裟に笑ってみせた。
褒めすぎですよと言って頭を掻く。
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その不自然な反応に、淳はどうすべきかと一人思案していた。
並んで食堂に向かいながらも、心の距離は大きく空いたままだ。
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互いの歯車が、少しずつ狂っていく‥。
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<彼への不信(2)>でした。
ボランティアの話は2話に渡って描かれているので、記事にすると3~4記事に分けるくらいの分量になりそうです。
これだけのページ数を毎週書き、そして色もつけている作者さんは本当大変だろうなぁと思います。
ゆっくり静養して、またパワーアップして戻ってきて欲しいですね(^^)
次回は<彼への不信(3)>です。
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アルムちゃんに数字を教えようとする時のソルちゃんのくそまじめな教え方…。相手に合わせようとしてイマイチ合わせ切れてないその不器用さがソルちゃんらしくて、私的にはツボです。
こんな風に最初はギクシャクしてモタモタしてて、でも最後には一生懸命な真面目さがちゃんと伝わっていくんですね。アルムちゃんとのエピソードは、災難続きの第2部の中で、ソルちゃんの本質を伝えてくれるええ話だと思います。
コメント(0)をなくそう運動(さかなさん発)にご参加いただき、
ありがとうございます(^0^)!
アルムちゃんとのエピソード。そうか~これはソルの本質を表したものだったのですね!シックリクルクル(りんごさん発)!
いや~いつも青さんの解釈こそが本質を伝えてくれるので、本当に勉強になります。
ありがとうございます!
昨夜ここのコメがゼロであることに焦り、「明日朝イチで書き込まねば!」と思っていたコメント(0)をなくそう運動家のさかなです。
青さんに先越されたー!
まさしく、くらのあいちゃん(アルムちゃんというのですね、かわいい)のことについてうかがってみたかったところです。
私、彼女との関わりの中で、雪ちゃんに何か気づきや成長があるんだろうなと予想しているので楽しみなのですよ。
雪ちゃんは自分の将来についてまだ漠然としたイメージしか持ってないですよね。漠然…というか、まったくイメージできてないというか。
いい会社であればどこでも…みたいな。
そもそも何のために今必死になって勉強しているのか、彼女自分でもいまいちわかってない様子ですもんね。
他人に認められたい気持ちがすごく強い願望、いや渇望?として自分の中にあることに気づいてないのかな。。
あいちゃんと接するうちに、そういう呪縛から解き放たれて自分の歩むべき道を見出す、とか、そういう展開もベタだけどありうるのかなー、なんて。
なにしろ先輩の会社には行かネーんじゃないでしょうかね。
私の個人的な意見ですよ。
コメゼロなくそう委員会委員長!頼もしいです!
そして最後の方の「なにしろ」にチートラ会会員の片鱗が見られます(笑)
なにしろちょっくら遅いから、ぼちぼちおいとまするのな。おやすみ^^←先輩がよく使う顔文字付き