
葉が茂りはじめた樹々の間を小さな鳥が飛びまわり、入学生たちの弾けるような声がキャンパスに響く。
春だった。

わずかに冷たさの残る風が吹いて、薄紅色の花びらが舞い落ちる。
桜の木の下のベンチに座る学生の横顔を見て、淳は足を止めた。

ふわりと舞っていた花びらが、ベンチで物思いに耽っていた赤山雪の肩にぺたりと張り付く。

やっと見つけた俺の相方。
多彩な顔芸と鋭いツッコミの使い手、赤山雪――。

軽快なボケと流れるようなツッコミに彩られる日々。
想像するだけで淳の胸が高鳴った。
この瞬間から、ドキドキラブコメな大学生活が幕を開けるのだ。

淳は愛用の腕時計をちらりと見た。午前九時三十分。
話をしようと誘うのだったら、「お茶しようよ」くらいがちょうど良い時間帯だろう。
よし、と淳はベンチに近づいた。
自然な笑顔で「時間あるなら」と雪に話しかける。
「飯食いに行こうよ」

「はい?!」と雪が素っ頓狂な声を出した。
「って、まだ早すぎるじゃないですか!」

強烈なツッコミが炸裂……!
……しなかった。

雪は言葉にならない声を出すと、戸惑ったように顔を伏せてしまったのだった。

ボケが細かすぎた。
淳はにこにこした表情を崩さなかったが、心に痛みを感じながらそう思った。

まぁ、いい。次はもっと明快なボケをかまそう。
翌日、夕方の教室で、淳は「おはよ」と雪に挨拶した。

しかし、雪は無反応だった。
次の日も、その次の日も、淳のボケは突っ込まれることなく滑り続けた。

もしかして、ボケとツッコミという役柄を掴みきれていないのかもしれない。
そう思って、淳は「一緒に頑張ろうな」と声をかけた。

あるいは、もしかするとコメディに自信がないのかもしれない。
「雪ちゃんて、面白い子だったんだね」

とそのたしかな才能を褒めることも淳は忘れなかった。
何か事情があってドキドキラブコメな大学生活を避けているのだとしても、
君は優しいから拒めないはずと強気だった。

「疲れた」

真後ろの席で、雪が言った。
二人の身長差が雪のツッコミの妨げになっているのではないかと考えた淳は、
後方席ほど高くなる段差のある教室では、雪の前列の席に着くようにしていた。
この席だったら雪が少し身を乗り出せば、淳の頭を簡単にどつくことができるのだった。

雪と仲の良い友人たちの会話が耳に入ってくる。
「あれ、そんなストラップ持ってたっけ?買ったの?」「かわいいでしょう」

何気ない会話が、淳をひらめかせた。
――モノボケ。

相手が小学生でも伝わるシンプルな芸、モノボケ。
どうしていままで気付かなかったんだろうと淳は唇を噛んだ。
目の前で鮮やかなモノボケを突きつけられれば、雪は反射的にツッコミを入れるにちがいない。

淳は、話しかけてきた雪の友人たちに適当に調子を合わせながら、後列のようすを窺った。

頬杖をついた雪は、目も合わせない。これは雪の持ち物を利用した方が良さそうだ。

雪ちゃん、と淳は振り返って呼んだ。
「悪いんだけど、ペン借りてもいいかな」

雪は表情を少し強張らせたようだったが、「はい」と細いペンを差し出した。

「ありがとう」

淳は微笑んだ。
自室に飾っている鹿の剥製のように、

頭にペンで角を立てて、「鹿」とやってみようか。
でも、鹿の角は二本だから、ペンがもう一本必要だな……。

淡々と進む講義の内容には上の空で、淳はペンを見つめながらあれこれと考えを巡らせた。

やっと考え出したのは、ペンを親指と人差し指で挟み、
「雪ちゃん、指が生えちゃった」と驚いてみせるネタだった。

さっそく淳は新しい指が生えたようにペンを挟み込み、後ろの席を振り返った。


雪は友人たちと戯れあっていた。
淳は声を掛ける間合いを見極めようと指でペンを挟んだまま雪たちに視線を投じていたが、
雪は淳の手元を見ようともしない。
教壇に立っている中年の教授が咳払いした。

淳はあきらめて前を向き、手のひらで口元を覆って考え込んだ。
雪は、ネタを見抜くことができないのだろうか。
いや、と淳は心に浮かんだ疑問をすぐに打ち消す。先日の出来事が思い出された。

自販機で飲み物を選んでいた淳は、突然、袖を引っ張られた。
振り向くと、俯いた雪が熱っぽい声で、風邪薬を買いたいのでお金を貸してほしいと言った。

淳は、財布に入っていた一万円札を全部出した。

有り金を全部出すというボケは淳の十八番だったが、
これがネタだと知ってか知らずか本当に全て受け取ってしまう学生も少なくなかった。

しかし、そのとき雪は一瞬でそれをネタだと見抜き、淳の手を振り払ったのである。


真後ろの席からは、雪と友人たちが囁きあう声が聞こえてくる。
仲良いんだなと思いながら、淳は渾身の新ネタ「指生えちゃった」が空振りしたことに、むっとしていた。

そして、自分が珍しく感情的になっていることに気付いて、少なからず動揺したのであった。

俺、どうしちゃったんだろうって、自分でも不思議だった。

だから、面白かったんだ。

すっかり暗くなった屋外バスケットコートで、素早いドリブルに続けて淳はシュートを放った。
夜空にきれいな弧を描いたボールが、ネットを揺らす。

乾いた音を立ててコートを跳ねるボールを淳は目で追った。



キャンパスで自分を避けるように立ち回る雪の姿が、小さく跳ねるバスケットボールと重なっていた。
逃げるウサギを追うような気分……。

淳はボールを追い、静かに手を伸ばした。
「ゆっくり」

「怖がらせないように……」

両手で、ボールを抱え込む。


ビルの灯りに照らされた無人のコートを淳は眺めていたが、やがて背を向けて立ち去った。

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<青い春(2)〜細かすぎたボケ〜>でした。
絶妙な地の文とコマのリンクがたまらないですね!!
記事を作成しつつずっと笑っていましたww
次回は「又斗内参上」です。
さすが!師匠のご友人だけあって、かなり読み込まれている感がビンビンでございます。
『指生えちゃった』ww
披露できず残念です〜
先輩ファンから冷水浴びせられるんじゃないかと若干心配しております笑
マタトナイ楽しみ
日本語版も終わってしまいましたね‥
指生えちゃったのボケ、ぜひ本編で見たかったですよね。
冷水のおらしも、久々拝見したい気持ちでいっぱいですww