こんばんはー!!!
表紙の写真はTwitterにも載せましたけど、弥彦山をギンギンに照らし出すカミナリですw
今日はひっさしぶりに岩室のお宿に来たんですけど(去年の冬から冬季休業→コロナでなかなか開けず→7月にようやくオープン)、ここに向かうまでの40分あまり、てっきり花火なのか?と思ったけど、「花火」のお姿が見えないよ?って思いつつ、走ってたら、どうやらカミナリと分かるまでにかなりかかって・・・
でもこういうビカビカしたりすると興奮するタチなもんで、もう運転しながら興奮が止まらないというねw
それにしても音もしないのに、凄い明るさって、いったいどこで鳴ってるやつなのかしらねー??
はーい、そろそろ本題に!!
いやー、ふと思ったのですよ。「人はやり方を知りたいんだなー」って。
私はこの「やり方」って部分が覚えられないタチで、仕方ないから昔から「つまりどういうことだ?」みたいなキモを探すことにして、何となくキモだけ押さえといて、やり方はそのときに閃きで・・・ってことが多いのです。
なので、レッスンするときもそういう感じ。
自分にとっては「こう」っていうキモがあって、そうなるための方法をその時の相手に合わせて、適当に考える・・・っていう、、、たまにいい方法が見つかったからって、他のところにも流用したりするんですけど、たいていそういうのは的外れみたいになったりしちゃって(;^ω^)
だから、学校の先生とかで、2クラスに同じ授業する先生とかマジで凄いな、、、と思います。というか、1回目のフレッシュな感じを次にはもう再現できないから、内容を同じにすることはできたとしても、エネルギー感は全く違うモノになってしまうので、伝わり方もまるで違う感じになるってわけで・・・
そんな感じなんですけど、これだと「どうやって教えたらいいんでしょう?」っていう「やり方」になってないですよね😅
でもやり方でお伝えしてしまうと、その本当の芯の部分ってのが場合によってはズレちまったり、違うモノになっちゃってたりして、いやいやそうじゃない、みたいなことになりかねない。
だからこそ、意味とかフィーリングとかつまり何?とかそういう部分で、いったい何を意味してるのか、どういうことか、ってことを押さえて行けるといいかな?!
小手先のやり方じゃなくてね!!
ま、だからやり方なんかその人その人でどーでもいいって話でもあるんだけど、ついついしっかり目に見えるモノに頼りたいという心情がね。
やば、打ちながら寝てるw今朝は2時50分起きだったからね・・・(;^ω^)
もう寝ますー。
どうか、本質は何か?ってところを深く感じていく必要があるってことが言いたかったよーw
それでは、おやすみなさーい( *´艸`)