ゆこちんのトランペット

トランペット奏者 藤井裕子のコンサート情報、トランペット談義のつもりが…こぼれ話や大きな声では言えない話も…毎日更新中♪

テストのこと

2023年12月20日 23時47分46秒 | 雑感
こんばんはー!!

いやー、、、今日はとっても暖かかったー!!

そして、新しいプリンターがやってきましたー!!今までと同じ、brotherのプリンター!!めっちゃ早くなって賢くなってて、ビックリ!
前のヤツは何と11年も、文句も言わずにしっかり働いてくれてたのかー。。。ありがとよー。良いヤツだったよーぉ。

そして、今日はくろほねブルゾンもついに届いたし、長野から社長がリンゴを送って下さったりー💖いろいろなニューカマーがやってきました!!わーい!

ところで、、、

今日はちょっと問題提起でもしてみよー!

テストって、ほらほらいわゆる小中学生が良く学校でやる「テスト」のことですよー。

ホント、テストってさー、良い使い方すれば効果的だと思うよー。でも、なんで「点数」のためにテストやるのかが、全く分らん。

この前、子どもたちがテストの話しててね、国語が何点だったとかって話で、それ自体はとっても頑張ったことだったりで良い話なんだけど、

そこじゃなくて、

国語に「問題の解き方」とか「正解」とかそういうのって、実際必要なのかなーと思って。

確かに「漢字」とか、熟語とか、言葉の意味とか、語尾変化とか、何かしら「正しい」ことを覚える必要があるモノってあるとは思うんだけど、

筆者の気持ちとか、心情の動きとか、、、、

そういうのって、本当に「正解」があるんだろうか??
そして、ましてや「解き方」とかあるのだろうか???

普段の生活で人と話していて、何なら一番身近な旦那と話していてさえも、同じ言葉でも共通のことを思ってなかったり、まったく逆に伝わってたりとか、そんなのザラ!

これが旦那だからまだ確かめようがあるけど、

もうちょいと遠い、友だちとか仕事仲間とか、もっともっと遠い初対面の人とかだったらさ、

絶対同じ認識できてるなんて思えない。

Twitter(今じゃーXだけどw)とか、メール、ラインみたいなモノだって、

特にTwitterとかは他人同士のやり取りが見えるからこそ、客観的に見てて思うけど、

「え?ちゃんと読んでる??」
「意味、伝わってる??」
「どう読んだらそうなるの??」

みたいなやり取りで溢れてる!!

かく言うワタシもメールなんかを急いで返すとき、よーく読めばわかることを読み飛ばして、謎の返事を返してしまって、送信した後よく読んだら、、、わ!!そういう意味か!!と分かって、もう一回連絡取る、、、なんてことザラだからさー。

まぁ、それは読み飛ばしてるせいであって、だからこそ現代文の読解が大切でしょ?って言われそうだけど、

それは「正解」の求め方ではなくて、

相手がどんな人で、どんな状況で、どういう言い癖があるかとか、、、、いろいろ考えた上で、

それで「こうかな?!」と決めるわけだけど、

それであってさえ、本当にそれが相手の考えてることかどうかなんぞ、まったく分らんわけだし、実際聞いてみたらなおさらさらに違ってるなんてこともザラで。。。

ホントにお互い100%なんて分かり合えないわけだから、その辺の余白を常に残しつつ、「人は違って当たり前!!」むしろ「人は違うべき!」ってところで合点して生きるのが、良いってワタシャ思うわけで、、、

だとすると、「正解」を1つ出すって、ホント乱暴だと思うわけよ。

それよりはさー、

こういう可能性もある、
私はこう感じる
もしかしたらこうじゃない??

ってのをたくさんみんなで討論したりすることで、「わー!!そんな感じ方もあるのか!!」という新たな視点を得ることが出来て、人として広がるって言うかさー、許容範囲が広がるっていうか!!

それが本を読むってことの大事さじゃないかって思うのよねー。

それなのに、まるで「正解」があるかのように錯覚させる今の「テスト」って、

自分で考えるのではなくて、「正解」を探る、、、ってなんか人の顔色読むみたいでちょっとヤダなー。

だってさー、ホントは正解なんて無いのに、ないモノを「ある」ってことにするんだから、そりゃー空気読むしかないじゃないかぁー??

だから、一見珍解答に見えたとしても、それがどうしてそう思えるのかってのを聞いてみて、なんと!!そういう考えも??ってなったら、それはそれで素晴らしいから〇にしても良いじゃないかと。

「正解」があると思うと、自分の中を探したり、自分の心に向き合ったりってことが出来なくなると思う。

自分の外に「正解」を求める。

自分の中に「答え」があるかもしれないのに。

「今回99点だったー!!」とか「全然ダメだった―」とか、そういうのは実際見てたら微笑ましいんだけど、これは教育としてオトナとして、ホントにマズイヤツだと思うんだよねー。

テストって、本当は点数よりもやってみてどこが分かってるとかどこがどうなってるかってのを「試して」みて、それで先に進むことが目的だと思うんだよねー。

手段のはずが、テストそのものが目的になっちゃってるんだよなー。

テストって「ためし」ってことでしょー??そんなのが目的になっちゃったら、ダメだよー。

何かを得るために「試してみる」のが「テスト」であってさ、テストのために何かして、それで点数が出来たらワーイ!とかガッカリとか、そんなのはゲームってことじゃん?

ゲームだと思ってやれば、そっちの方がずーっと良い気がする!

ゲームなら、得点を争ってめっちゃ楽しいじゃんか!

それなのに、「テスト」なんて名前にして、しかも目的にしちゃってるから、あたかも「その人の価値」みたいになっちゃって、それが楽しいワーイ!とガッカリじゃなくて、人生左右するみたいな気分になっちゃうなんて、おかしいオカシイ!!

いったい何をやってるんだろう??

もっともっと人生って味わうべきなのに、特に子どもの頃ってさー、人間の生きるための土台になる大事な時期じゃん?


そんな時に、どーでも良いモノを「目的」にして、自分の価値をそれで決めちゃうなんて、アホくさいにもほどがあるよー。

ましてやさ、そのテストの中身が、ホントに人生をかけるくらい良い中身で学びが有るなら良いけど、そんな〇✖で決まるようなの、そんなの役に立つのかい??って思うわ。クイズで良いじゃんか!

点数を取ることが人生の目的だと思っちゃう、、、点数取っていい大学行って、いい会社入って、そしたら良いお給料もらえて、良い生活できる、、、

もうそれはだいぶ昔の話だよぉ。。。

その価値観で生きてきた世代のオトナが、もうそうじゃない世界になってるのに、気が付かないふりをして、自分たちの時代の価値観で子どもに教育してる、、、ってことなのかもしれない、、、

いや~ん!!そりゃーイカン!!

もーねー、ググったり、AIとかあるんだから、知識みたいなのを詰め込んでももったいないんだよー。
身体を動かしたり、心を動かしたり、精神を鍛えたり、、、そういうのはググっても出来ない。そういうのを一杯やっとく方が絶対良いよー。

虫でも見てろ!!
山でも走ってろ!!

って思う。

ビックリすることだらけ!思ってもないことばっかり。信じられないことがいっぱいあるんだから!!

そんなことを考えてくれる大人がちょっとでも良いから増えますようにー!!

それでは、また明日ー!おやすみなさーい(^▽^)/
コメント
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