写真を撮る場合はあまり意識しませんが映像では常に気になることがあります。
― カメラは一体誰なのか。
映像のジャンルにはフィクションとノンフィクションがあって、フィクションは創作。
ノンフィクションは「事実」で構成し、情報として伝えるものと考えます。
実際はそんな単純なものではありませんが。
いつからかわかりませんが報道を目的とした映像の撮り方、編集技術は劣化しました。
私はテレビのニュース映像は本気で見ません。具体的にどこがどうというのはいずれ書きましょう。
今日の本題はそちらの話じゃなくて自分が作ろうとしている映像作品についてです。
作品の中で、このカットを入れようと思うのです。
古い LEICA を持つ男がこちらに向かって構え、シャッターを切るんです。
このカットを撮影するカメラはもちろん男の目の前に居ます。
これがどんな効果を発揮するかは出来上がってみないと何ともいえませんが。
ノンフィクションの映像作品を作る場合、普通は撮影するカメラは存在しないという、見る側との暗黙の了解があります。
私はそんな事を了解した覚えはありませんけど。
誰も居ない部屋の中の映像は実はカメラとカメラマン、場合によってはディレクターやアシスタントが存在するという、当たり前の事実。
物陰に隠れている殺人犯もカメラはそこに居るのにそれは考えないと言う約束。
そのあたりの矛盾を突いた作品になれば面白いと思う私はへそ曲がりでしょうか。
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