工房の映像制作システムは相互の接続がそれなりに複雑なので全体の構成をしっかり把握しておかないと訳がわからなくなります。
改めて接続図を見直しです。
映像系と音声系を色分けして記入。
こんなことをしながら考えるのです。
人生100年時代だそうで、だとしたら私の残り時間は26年。
ネットの世界で言われるのが「団塊の世代はお気楽に生きてきて今は年金で優雅に老後」なんて。
でもねえ、私の世代はそんなんじゃありません。
若い頃はひとつ上の世代に騙され続けてきました。
「会社を辞めるなんて考えるな、それがお前の天職だと思え」
「仕事というものは楽しくないものだ」
「石の上にも三年/三日三月三年我慢すれば一人前になる」
「日々の仕事の中に喜びを見つけなさい」
「大きい会社に入ったんだから一生安泰だぞ」は周囲からも聞こえていました。
こんなのはいくらでも思い出します。
でもそう言った先輩方も含めて平成の大不況であっさりリストラ。
私が所属していたのは東証一部上場の大手電機メーカーの地方工場ですが、早い話が全員解雇。
予感はありました。
平成の深刻な不況で天下の松下電器が人員整理を始めるという情報は衝撃!
幸之助会長の時代には終身雇用の方針だったのに。
「こりゃあうちの会社もやるぞ」。状況をしっかり見たまともな仲間は身の振り方を考え始めました。
リストラ時点で私は中学を出て入社し38年、53歳。
もちろんまともな再就職なんてある訳がありません。
会社が危ないしそれは自分の身にも降りかかる予感があって、ちょうど同じ時期にあの件の報道。
長野電鉄木島線廃止です。
これを映像で記録しよう、鉄道マニアではない視点でこのローカル線最後の1年を見つめよう。
後にローカル誌の記者と撮影で行った木島線の駅で遭遇、記事になりましたが、その記事で
「木島線に自分を重ねて」という一文。私はそう意識していた訳ではありませんでしたがまさにその通り。
木島線は計画通りラストランの日まで追い続け、その映像は「信州中野発木島行」のタイトルでDVD化。
それは発売して二桁が売れました。リストラ直後のことです。
ところがその最中に今度は同じ長野電鉄の屋代線も廃止が決定。
屋代線は通学通勤の足なので廃止しないと言っていたのですが。
屋代線は昭和50年に若穂駅で自主映画のロケをした深い縁のあるローカル線です。
その自主映画はYouTubeにアップしてあり、その中の若穂駅のシーンが地方テレビ局の目に留まりました。
当時人気番組だった「ザ 駅前テレビ」を放送していた局です。
屋代線最後の2月、信濃川田駅から乗車、綿内駅まで車内の様子と車窓風景を撮って帰ったところにその局のディレクターから電話。
昔の屋代線の映像がこれしか見つからなかったとのこと。
結果、私はその番組に出演することになりました。
その後この件も含めて自身の半生のほとんどを包括、新作「線路端の猫戯子」として全力で作り上げました。
正直なところ、この映像による長編叙事詩が受けようが無視されようがそれはどうでもいいこと。
YouTube にアップすること自体に”意味”があると思うのです。
田舎のへそ曲がりの爺が青春期を含めての自己主張、その他大勢村人の一人に過ぎない男の自分史ですから。
ちなみにその動画も含めて収益化の基準は満たしていないので現在一銭も利益はありません。
団塊の世代は昔「ベビーブーム世代」と呼ばれていました。俺はブームなのか?
団塊世代の底辺の人間は日本経済が発展する過程で都合良く使い捨てられた世代とも言えます。
でもねえ、冷静に振り返るとあの激しかった学園紛争で暴れたのは、団塊世代。
決して現状に甘んじる老害なんかじゃないんです。
私より若い人、特に今の50代に言いたいのは「あんたもすぐに老害って言われるようになるんだぞ」。