中国の歴史の三国志は、
184年の黄巾の乱から280年の晋の統一までの
約100年のことをいうが、
マンガや小説でお馴染みの流れとしては、
劉備、関羽、張飛による桃園の儀より始まり、
呂布が出てきて盛り上がり、
赤壁の戦いでピークを迎え、
劉備が死んだあたりでフェードアウトしていくのだ。
184年-280年だから約100年であるけど、
おなじみのエピソードは前半部分に集中している。
呂布との虎牢関の戦いが190年、
赤壁の戦いが208年、
劉備が死んだのが223年であるから、
まだ半分くらい残っているのであるが、
一般的な三国志はだいたいここで終わっちゃう。
オイラ、この歳になって、
三国志の100年でいうところの晩秋、
つまりマイナーな後半部分に興味が
抱くようになっています。
劉備の死後の
孔明が北伐で頑張るあたりや、
その後継者の姜維(きょうい)が活躍する時代である。
ちなみに我が国の邪馬台国の女王、卑弥呼が
魏に朝貢そたのが238年であるから、
すでに孔明も死んだ三国志のいわゆる晩秋の時代だ。
なんか、歳をとると、
夏真っ盛りというより
少し寂しい秋の雰囲気が好きになるのねん
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184年の黄巾の乱から280年の晋の統一までの
約100年のことをいうが、
マンガや小説でお馴染みの流れとしては、
劉備、関羽、張飛による桃園の儀より始まり、
呂布が出てきて盛り上がり、
赤壁の戦いでピークを迎え、
劉備が死んだあたりでフェードアウトしていくのだ。
184年-280年だから約100年であるけど、
おなじみのエピソードは前半部分に集中している。
呂布との虎牢関の戦いが190年、
赤壁の戦いが208年、
劉備が死んだのが223年であるから、
まだ半分くらい残っているのであるが、
一般的な三国志はだいたいここで終わっちゃう。
オイラ、この歳になって、
三国志の100年でいうところの晩秋、
つまりマイナーな後半部分に興味が
抱くようになっています。
劉備の死後の
孔明が北伐で頑張るあたりや、
その後継者の姜維(きょうい)が活躍する時代である。
ちなみに我が国の邪馬台国の女王、卑弥呼が
魏に朝貢そたのが238年であるから、
すでに孔明も死んだ三国志のいわゆる晩秋の時代だ。
なんか、歳をとると、
夏真っ盛りというより
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