怪奇な根上町(現能美市)のブラブラは続きます。
<オイラ
<カミさん、息子
まず根上町の名の由来となった場所に行かねばと
着いた場所はほとんど小松市との境にあるここだ。
こんな所を入っていく。
砂地の道をしばらく歩くと少し開けた場所が現れ、
出たー!町名由来の松。
根上(ねあがり)の松である。
それにしてもよく見たらなんじゃこりゃー
怪奇だ~!
ここは誰もいないね~。
周りは木で覆われて、民家も何も見えない。
そしてこの地は源平の古戦場でもある。
<わくわく
富山県との県境である倶利伽羅の戦場で敗れた平家軍は散り散りになって南下した。
追ってくる源氏軍とこの地では井上二郎範方がわずか十七騎で十一度戦ったとある。
この場所、東は沼、西は海、道狭くして・・・・と案内文に書いてある。
奮戦するもこの地で倒れたか・・・
今は新盆の季節、無念の霊も彷徨うか・・・。
奥の藪がザザっと揺れた。
ひえ~!
怪奇だ~!
早々に立ち去る。
次の場所へ向かう。
弁慶謝罪の地を知っているものはほとんどおるまい。
(なぜか自慢)
小松にある歌舞伎十八番で有名な勧進帳の安宅関から、
数キロ北上したこの場所は、弁慶が安宅関で義経を打ち付けたことを詫びた場所と伝えられている。
ど~ん!まじか・・・
弁慶「ごめんね」ペコリ
義経「ううん、いいよいいよ」
と言ったかどうかはわからんが、
弁慶の顔怖すぎるやろ、
怪奇だ~!
そして、
この根上町の最大の怪奇な事件はこれ
福田和子をご存知でしょうか。
<ウィキから>注目箇所を色付け
キャバレーのホステスとして働いていた1982年、松山市内で福田の同僚だったホステスの首を絞めて殺害する松山ホステス殺害事件を起こし逃亡する。
逃亡中は幾度となく偽名を使ったり美容整形を繰り返したりするなどして全国のキャバレーを転々とする生活をしており、美容整形をしていたことが判明した際には「7つの顔を持つ女」と呼ばれた。
1982年(昭和57年)に殺人を犯した後、1997年(平成9年)に逮捕捕までの15年近くの5459日間、日本各地を転々としていた福田だが、潜伏生活の中で最も大胆だったのは石川県根上町(現在は市町村合併により能美市)の和菓子屋の後妻(入籍はしておらず、事実上の内縁関係)の座に納まっていたことである。その店には、家が近所で当時、小学生だった松井秀喜も客としてよく菓子を買いに来ており、松井は福田逮捕後のインタビューで「きれいで愛想のいい奥さんだった」と語っている。
金沢市のスナックで働いていた福田はその店の客だった和菓子屋の主人に見初められて同棲するようになり、店も手伝うようになる。福田は非常によく働き、接客も得意だったことから、店はたちまち評判となり、新しく改装するほどの繁盛店となった。和菓子屋の主人は福田をたいそう気に入り、正式に結婚を申し込むが、福田は正体の判明を恐れ、結婚を渋る。
あまりに結婚を渋る福田の態度に不審を抱いた親戚が石川県警察に通報し、警察は福田の逮捕に向かう。しかし、当日、近所の葬式の手伝いに出掛けていた福田は警察の行動を素早く察知し、とっさの判断で近くにあった自転車に乗り逃走。これにより逮捕は失敗する。このとき、警察は福田が整形手術を行っていたことを初めて知り、この事実は当時の週刊誌でも取り上げられた。その後は愛知県内でモーテルの客室清掃員などもしていたらしいが、詳しい足取りは不明である。逮捕後の供述では、大阪を拠点に、近畿地方・中国地方・北陸地方などの料理店などを転々としていたとしている。
その後も捜査網を巧みにくぐり抜け逃亡を続けるが、福井市に潜伏していた1997年、市内のおでん屋の店主から提供されたビール瓶とマラカスから採取された指紋が決め手となり、ついに福田は逮捕された。時効まであと21日だった。当時、時効を目前に控えたこの事件は盛んにテレビのワイドショーなどで取り上げられ始めており、福田の肉声も繰り返し放送されていた。福田はこの時、逮捕に繋がる情報を提供した店の常連客であり、店主や他の常連客はテレビでよく耳にする福田和子と声がそっくりな彼女を怪しむようになったのだという。逮捕の現場となったそのおでん屋はのちに区画整理によって取り壊された。
根上にはその和菓子屋がある。
そして、捕まるギリでチャリで逃げた逃走路
そして危機一髪でこの駅から電車に乗った
これぞ根上町最強の
怪奇だ~!
これで根上町のブラオイラは終了。
怪奇の町なんて言ってきたけど、
この町は、松井を生んだいい町です。(遅いって)
カミさん<おいおい親戚への快気祝い!
【ヒゲ親父】
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
<オイラ
<カミさん、息子
まず根上町の名の由来となった場所に行かねばと
着いた場所はほとんど小松市との境にあるここだ。
こんな所を入っていく。
砂地の道をしばらく歩くと少し開けた場所が現れ、
出たー!町名由来の松。
根上(ねあがり)の松である。
それにしてもよく見たらなんじゃこりゃー
怪奇だ~!
ここは誰もいないね~。
周りは木で覆われて、民家も何も見えない。
そしてこの地は源平の古戦場でもある。
<わくわく
富山県との県境である倶利伽羅の戦場で敗れた平家軍は散り散りになって南下した。
追ってくる源氏軍とこの地では井上二郎範方がわずか十七騎で十一度戦ったとある。
この場所、東は沼、西は海、道狭くして・・・・と案内文に書いてある。
奮戦するもこの地で倒れたか・・・
今は新盆の季節、無念の霊も彷徨うか・・・。
奥の藪がザザっと揺れた。
ひえ~!
怪奇だ~!
早々に立ち去る。
次の場所へ向かう。
弁慶謝罪の地を知っているものはほとんどおるまい。
(なぜか自慢)
小松にある歌舞伎十八番で有名な勧進帳の安宅関から、
数キロ北上したこの場所は、弁慶が安宅関で義経を打ち付けたことを詫びた場所と伝えられている。
ど~ん!まじか・・・
弁慶「ごめんね」ペコリ
義経「ううん、いいよいいよ」
と言ったかどうかはわからんが、
弁慶の顔怖すぎるやろ、
怪奇だ~!
そして、
この根上町の最大の怪奇な事件はこれ
福田和子をご存知でしょうか。
<ウィキから>注目箇所を色付け
キャバレーのホステスとして働いていた1982年、松山市内で福田の同僚だったホステスの首を絞めて殺害する松山ホステス殺害事件を起こし逃亡する。
逃亡中は幾度となく偽名を使ったり美容整形を繰り返したりするなどして全国のキャバレーを転々とする生活をしており、美容整形をしていたことが判明した際には「7つの顔を持つ女」と呼ばれた。
1982年(昭和57年)に殺人を犯した後、1997年(平成9年)に逮捕捕までの15年近くの5459日間、日本各地を転々としていた福田だが、潜伏生活の中で最も大胆だったのは石川県根上町(現在は市町村合併により能美市)の和菓子屋の後妻(入籍はしておらず、事実上の内縁関係)の座に納まっていたことである。その店には、家が近所で当時、小学生だった松井秀喜も客としてよく菓子を買いに来ており、松井は福田逮捕後のインタビューで「きれいで愛想のいい奥さんだった」と語っている。
金沢市のスナックで働いていた福田はその店の客だった和菓子屋の主人に見初められて同棲するようになり、店も手伝うようになる。福田は非常によく働き、接客も得意だったことから、店はたちまち評判となり、新しく改装するほどの繁盛店となった。和菓子屋の主人は福田をたいそう気に入り、正式に結婚を申し込むが、福田は正体の判明を恐れ、結婚を渋る。
あまりに結婚を渋る福田の態度に不審を抱いた親戚が石川県警察に通報し、警察は福田の逮捕に向かう。しかし、当日、近所の葬式の手伝いに出掛けていた福田は警察の行動を素早く察知し、とっさの判断で近くにあった自転車に乗り逃走。これにより逮捕は失敗する。このとき、警察は福田が整形手術を行っていたことを初めて知り、この事実は当時の週刊誌でも取り上げられた。その後は愛知県内でモーテルの客室清掃員などもしていたらしいが、詳しい足取りは不明である。逮捕後の供述では、大阪を拠点に、近畿地方・中国地方・北陸地方などの料理店などを転々としていたとしている。
その後も捜査網を巧みにくぐり抜け逃亡を続けるが、福井市に潜伏していた1997年、市内のおでん屋の店主から提供されたビール瓶とマラカスから採取された指紋が決め手となり、ついに福田は逮捕された。時効まであと21日だった。当時、時効を目前に控えたこの事件は盛んにテレビのワイドショーなどで取り上げられ始めており、福田の肉声も繰り返し放送されていた。福田はこの時、逮捕に繋がる情報を提供した店の常連客であり、店主や他の常連客はテレビでよく耳にする福田和子と声がそっくりな彼女を怪しむようになったのだという。逮捕の現場となったそのおでん屋はのちに区画整理によって取り壊された。
根上にはその和菓子屋がある。
そして、捕まるギリでチャリで逃げた逃走路
そして危機一髪でこの駅から電車に乗った
これぞ根上町最強の
怪奇だ~!
これで根上町のブラオイラは終了。
怪奇の町なんて言ってきたけど、
この町は、松井を生んだいい町です。(遅いって)
カミさん<おいおい親戚への快気祝い!
【ヒゲ親父】
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村