重要伝統的建造物群保存地区が日本一多いのは石川県と紹介した。
以下の8か所で、
金沢市東山ひがし 茶屋町
金沢市主計町 茶屋町
金沢市卯辰山麓 寺町
金沢市寺町台 寺町
輪島市黒島地区 船主集落
加賀市加賀橋立 船主集落
加賀市加賀東谷 山村集落
白山市白峰 山村・養蚕集落
次いで京都及び長野の7か所が続く、
北陸では富山が4か所、福井が2か所である。
その県内8か所のうち加賀市の東谷地区だけはまだ訪れていないと思っていた。
(実はその地区を行ってはいたが無意識に通過だけしていたことが判明)
正月休みに家でゴロゴロしてるのが苦痛なので行ってくるか。
そっれ~
国道8号線から加賀市に入り、左折して39号線に入ると、
動橋川(いぶりばしがわ)に沿って走り山間部を目指すことになる。
途中にキモイ木が目に入ったので思わずパシャリ
なんじゃいありゃ
動橋川も幅が狭くなってきた。
水が冷たそうだね。
気付けば、重伝建東谷地区に入っていた。
なるほど、たしかに古そうな集落だ。
家屋も古そうですね。
案内板がありました。
荒谷神社
正月モード。
雪も降ってきたね。
ん!?
これは、ここか・・・
日本一のオオサンショウウオと書いてある。
そう、ここには日本一(実は2番目くらい)の大きさを誇る
国の特別天然記念物のオオサンショウウオがいるのです
そうそうここ、ここ
石川県内水面水産センターです。
湖沼河川の水産生物に関する調査研究と淡水魚の種苗生産・配布を行っています
ここには・・・
あの国の特別天然記念物の・・・
最長クラスのオオサンショウウオがいるのだー!!!
すごくね!すごくね!
いるいる!
元気にやってるか!
2012年計測で136㎝。6年経つ今はどれくらいだろうか?
日本一の150.5㎝に迫っているのかな?
ちなみに・・・
石川県ではオオサンショウウオは自然生息していません(主に関西中国地方)
県内4か所から捕獲とありますが、おそらく県外から持ち込まれ川などに捨てられたのを捕獲したといわれてます。
ここまで成長したのなら日本一の大きさを目指してもらいたいものです。
荒谷集落から、もう少し進んで今立町集落に来ました。
ここも古い家並みがあります。
カフェなんかも最近できたのかな。
雪もまだ深くはありません。
おっ!
う~む、読めないねぇ
道・・路・・・あとは無理か。
案内板を見る。
ふむふむ
この2か所は行ってみよう。
「新保の池」と「三界墓」
よし、90Mなら近い。
エッヘン長靴なのだ!
んん・・・ここ入るのかな?
新保の池がわからない・・・
そうこう探しているうちに、
まさかの石碑が入ってくる。
ん!?
なにー!!!
辻政信生誕の地だとー!!!
あまり馴染みのない名前だと思うが、
辻政信といえば、先の大戦でA級戦犯中のA級戦犯と言われた男ではないかー!
こんな人がここで生まれた!?
知らなかった・・・。
歴史好き&地元好きの男としてはまさかの失態である。
まぁ辻政信については、いずれ、ひと記事設けよう・・・
(しばらく動揺が続いた・・・新保の池などどうでもよくなったわい)
結局、池は見つからず次の場所を目指す。
「三界墓」だ。
墓場の隅に立っていた。
ふむ
「三界墓(さんかいはか)」天保8年(1837年)に大飢饉があって当時の今立村53戸のうち半数近い26戸の村人が餓死した。
その供養の為、嘉永2年(1849年)に三界墓が建立された。
村が全滅寸前の頃もあったということですね。
しばらく進み、
道路横に鎮座していたお地蔵さんに合唱してこの地を去りました。
【ヒゲ親父】
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以下の8か所で、
金沢市東山ひがし 茶屋町
金沢市主計町 茶屋町
金沢市卯辰山麓 寺町
金沢市寺町台 寺町
輪島市黒島地区 船主集落
加賀市加賀橋立 船主集落
加賀市加賀東谷 山村集落
白山市白峰 山村・養蚕集落
次いで京都及び長野の7か所が続く、
北陸では富山が4か所、福井が2か所である。
その県内8か所のうち加賀市の東谷地区だけはまだ訪れていないと思っていた。
(実はその地区を行ってはいたが無意識に通過だけしていたことが判明)
正月休みに家でゴロゴロしてるのが苦痛なので行ってくるか。
そっれ~
国道8号線から加賀市に入り、左折して39号線に入ると、
動橋川(いぶりばしがわ)に沿って走り山間部を目指すことになる。
途中にキモイ木が目に入ったので思わずパシャリ
なんじゃいありゃ
動橋川も幅が狭くなってきた。
水が冷たそうだね。
気付けば、重伝建東谷地区に入っていた。
なるほど、たしかに古そうな集落だ。
家屋も古そうですね。
案内板がありました。
荒谷神社
正月モード。
雪も降ってきたね。
ん!?
これは、ここか・・・
日本一のオオサンショウウオと書いてある。
そう、ここには日本一(実は2番目くらい)の大きさを誇る
国の特別天然記念物のオオサンショウウオがいるのです
そうそうここ、ここ
石川県内水面水産センターです。
湖沼河川の水産生物に関する調査研究と淡水魚の種苗生産・配布を行っています
ここには・・・
あの国の特別天然記念物の・・・
最長クラスのオオサンショウウオがいるのだー!!!
すごくね!すごくね!
いるいる!
元気にやってるか!
2012年計測で136㎝。6年経つ今はどれくらいだろうか?
日本一の150.5㎝に迫っているのかな?
ちなみに・・・
石川県ではオオサンショウウオは自然生息していません(主に関西中国地方)
県内4か所から捕獲とありますが、おそらく県外から持ち込まれ川などに捨てられたのを捕獲したといわれてます。
ここまで成長したのなら日本一の大きさを目指してもらいたいものです。
荒谷集落から、もう少し進んで今立町集落に来ました。
ここも古い家並みがあります。
カフェなんかも最近できたのかな。
雪もまだ深くはありません。
おっ!
う~む、読めないねぇ
道・・路・・・あとは無理か。
案内板を見る。
ふむふむ
この2か所は行ってみよう。
「新保の池」と「三界墓」
よし、90Mなら近い。
エッヘン長靴なのだ!
んん・・・ここ入るのかな?
新保の池がわからない・・・
そうこう探しているうちに、
まさかの石碑が入ってくる。
ん!?
なにー!!!
辻政信生誕の地だとー!!!
あまり馴染みのない名前だと思うが、
辻政信といえば、先の大戦でA級戦犯中のA級戦犯と言われた男ではないかー!
こんな人がここで生まれた!?
知らなかった・・・。
歴史好き&地元好きの男としてはまさかの失態である。
まぁ辻政信については、いずれ、ひと記事設けよう・・・
(しばらく動揺が続いた・・・新保の池などどうでもよくなったわい)
結局、池は見つからず次の場所を目指す。
「三界墓」だ。
墓場の隅に立っていた。
ふむ
「三界墓(さんかいはか)」天保8年(1837年)に大飢饉があって当時の今立村53戸のうち半数近い26戸の村人が餓死した。
その供養の為、嘉永2年(1849年)に三界墓が建立された。
村が全滅寸前の頃もあったということですね。
しばらく進み、
道路横に鎮座していたお地蔵さんに合唱してこの地を去りました。
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