オイラが長野市に行きたかったのは、
この松代に来たかったからだ。
(旧長野電鉄松代駅舎)
まずは、真田宝物館へ
NHK大河ドラマ、オイラ的に最高傑作が「真田丸」でした。
知将で有名な真田昌幸や真田幸村は関ヶ原で西軍についてから下降人生を歩んでいくが、
幸村の兄の真田信之が東軍について、この筋が後世続くことになります。
この松代はその真田家が城主として治めてきた。
真田邸。
ここは部屋から覗くお庭が美しかった。
なかなかのもんでしょ
このあたりにいろいろな建物が集まっています。
松代城跡。
観光案内所でレンタサイクルを借りました。
行き先を〇付けてと
道沿いの木々が色付いていました。
着いたのは象山神社。
ここは幕末の大天才を祀る神社
その天才の名は佐久間象山という。
どれだけすごい人かと言うと、
彼の教えを乞うた門下生が・・・、
凄い面々なのである。
橋本左内、坂本龍馬、勝海舟、吉田松陰、小林虎三郎、
久坂玄瑞、高杉晋作、中岡慎太郎と幕末の超一流の者ばかり・・・。
オイラが佐久間象山を知ったのは、マンガ「お~い龍馬」からです。
時代の先を行き過ぎた大天才、公武合体と開国論者で最後は尊王攘夷の志士によって暗殺されてしまいます。
御朱印ゲッツ
さて行くぞ~
スイ~スイ~と、
このあたりはとても雰囲気の良い町並みです。
ここに入るか、
お庭の奥に、
小さな土蔵の建物。
ギャラリーがありました。
松代といえば、
先の大戦、敗戦直前の最後のあがきみたいな場所でして。
地下壕に行ってみたかった。
象山地下壕。
見学は無料です
ヘルメットを着用して
入ります。
このイ号地下壕(象山地下壕)は、
日本放送協会(NHK)、中央電話局、政府機関が入るために計画された。
多くの朝鮮労働者が動員されたという。
けっこう歩きましたよ
地下壕を出ると、隣にこういう場所があったので入ることにした。
どこかの大学の博士みたいなお方に、懇切丁寧なご説明を聞く
地下壕には木の小屋が並び設置され、それぞれが部局や部署となるわけで、
本気でこんな所に大蔵省や外務省などの省庁が入る計画だったのかと思うと哀れになってくる。
結局、建設途上で終戦を迎えることになるが。
もっと山の方に向う、
こんな場所に。
ここに来たかったんだ・・・。
戦争がもう少し延びていれば、
本土決戦に備えて、大本営や政府機関はこの松代に移転していた、
そして天皇も・・・、
あの建物が・・・、
東京にあった皇城(皇居)に代わる、
天皇の住まいになっていたかもしれないのです。
天皇御座所という、
信じがたい本当の話。
正面の山を見る。
さっきのあの博士さんが言ってた。
あの山の地下壕に三種の神器を置く賢所(かしこどころ)を設置する予定だったと・・・。
先日10月22日に行われた即位礼正殿の儀を思い出す。
この松代という小さな地域は、
戦国の真田家があり、幕末の大天才があり、昭和の戦争末期のあがきがあって・・・・、
まさに時代のうねりを感ずることができる地です。
長野市の日帰り旅、一日3万歩も歩いて少し疲れたけれど、すごく満足でした。
この松代に来たかったからだ。
(旧長野電鉄松代駅舎)
まずは、真田宝物館へ
NHK大河ドラマ、オイラ的に最高傑作が「真田丸」でした。
知将で有名な真田昌幸や真田幸村は関ヶ原で西軍についてから下降人生を歩んでいくが、
幸村の兄の真田信之が東軍について、この筋が後世続くことになります。
この松代はその真田家が城主として治めてきた。
真田邸。
ここは部屋から覗くお庭が美しかった。
なかなかのもんでしょ
このあたりにいろいろな建物が集まっています。
松代城跡。
観光案内所でレンタサイクルを借りました。
行き先を〇付けてと
道沿いの木々が色付いていました。
着いたのは象山神社。
ここは幕末の大天才を祀る神社
その天才の名は佐久間象山という。
どれだけすごい人かと言うと、
彼の教えを乞うた門下生が・・・、
凄い面々なのである。
橋本左内、坂本龍馬、勝海舟、吉田松陰、小林虎三郎、
久坂玄瑞、高杉晋作、中岡慎太郎と幕末の超一流の者ばかり・・・。
オイラが佐久間象山を知ったのは、マンガ「お~い龍馬」からです。
時代の先を行き過ぎた大天才、公武合体と開国論者で最後は尊王攘夷の志士によって暗殺されてしまいます。
御朱印ゲッツ
さて行くぞ~
スイ~スイ~と、
このあたりはとても雰囲気の良い町並みです。
ここに入るか、
お庭の奥に、
小さな土蔵の建物。
ギャラリーがありました。
松代といえば、
先の大戦、敗戦直前の最後のあがきみたいな場所でして。
地下壕に行ってみたかった。
象山地下壕。
見学は無料です
ヘルメットを着用して
入ります。
このイ号地下壕(象山地下壕)は、
日本放送協会(NHK)、中央電話局、政府機関が入るために計画された。
多くの朝鮮労働者が動員されたという。
けっこう歩きましたよ
地下壕を出ると、隣にこういう場所があったので入ることにした。
どこかの大学の博士みたいなお方に、懇切丁寧なご説明を聞く
地下壕には木の小屋が並び設置され、それぞれが部局や部署となるわけで、
本気でこんな所に大蔵省や外務省などの省庁が入る計画だったのかと思うと哀れになってくる。
結局、建設途上で終戦を迎えることになるが。
もっと山の方に向う、
こんな場所に。
ここに来たかったんだ・・・。
戦争がもう少し延びていれば、
本土決戦に備えて、大本営や政府機関はこの松代に移転していた、
そして天皇も・・・、
あの建物が・・・、
東京にあった皇城(皇居)に代わる、
天皇の住まいになっていたかもしれないのです。
天皇御座所という、
信じがたい本当の話。
正面の山を見る。
さっきのあの博士さんが言ってた。
あの山の地下壕に三種の神器を置く賢所(かしこどころ)を設置する予定だったと・・・。
先日10月22日に行われた即位礼正殿の儀を思い出す。
この松代という小さな地域は、
戦国の真田家があり、幕末の大天才があり、昭和の戦争末期のあがきがあって・・・・、
まさに時代のうねりを感ずることができる地です。
長野市の日帰り旅、一日3万歩も歩いて少し疲れたけれど、すごく満足でした。