大雑把な日常

日常のあれこれ。

会社に行ってきます

2012-09-12 | ぼやき

朝晩に秋を感じる今日この頃。

夏が通り過ぎていきます。

やりたいことはたくさんありますが、

何しろ時間がないなあ

と考えます。

しかしもし

わたしの職業が主婦や自営業だったらどうなのか

と妄想するも

やっぱり、やらないんだろうな

と思うんです。

人間のやることには範囲があって

どんなに時間を与えても

労働率は変わらない気がします。

それは私が主婦だったから。

だらだらだらだらやってました。

そういえば、仕事を始めたときに

自分のために机が用意されていて

名札や諸手続の書類を誰かが私のために用意してくれた

という事実に感動したのを覚えています。

誰かが自分のために。

というのが主婦をしていたらほとんど起こり得ないことだったから。

なんでも自分で。

自分でできないときは

自分発信で指示を出してやってもらっていた。

自分の立ち位置も自己主張だった気がする。

これを考えると

また専業主婦やる?

と言われたら考える。

良いこともたくさんあるけれど、

人に言われて労働したほうが、

怠け者の私には合っている。

ただ、

いま仕事することが本当につらい。

ふう。

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ママタレント

2012-08-15 | ぼやき

ほしのあきは

早く復帰しすぎだと思う。

という会話を妹とした。

基本的にママタレントと呼ばれる胡散臭いカテゴリーにおいて

復帰が早すぎるタレントは

人間として

信用しないことにしている。

せめて1年は復帰するのを待て。

と思う。

子供のそばにいてほしい。

というきれいごとはこの際、脇に置いといて、

経験から

最初の1年

歯が生えるまでの1年は

マジで大変だから。

子供のためにすべての時間がある。

そりゃあ家庭の事情で働かざるえないお母さんもいるのは

知っている。

ただ

タレント…?

共働き?

早く復帰する理由に胡散臭さを感じる。

そして、

逃げたな。

と思う。

大変さから。

おっぱいもおむつも

修行。

ただただ会話をしない小さな人間に尽くし続ける日々を

誰か任せにしてんのね。

と、こっちは白い目で見ることにしている。

休めない仕事ではない。

だって変わりはいくらでもいる。

ただ変わってしまっては、

席がなくなっている可能性のある仕事だ。

ママタレント。

と、

ママ女優。

というカテゴリー分けが微妙なところで

香椎由宇の復帰をどう見るか。

で今んところ、妹との会話は平行線である。

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これはただのおしゃべりです

2012-03-27 | ぼやき

ツイッター

を見ていると

あのひとが

このひとが

こんなことをいって

話題!

みたいなことになっております。

1年に1度くらい見て

不快な気分にさせられる

2チャンネル同様

排泄物をみんなで寄ってたかってこねくりまわしている印象です。

言葉が強かった?

出版物やプロとしてお金をもらっている発言

とは違って

tweet

の本来の意味は

さえずっている

ということで

気楽に友達と話している会話と一緒で

流れていく大して意味ないもの

ではないか。

だから、いちいちあげつらうのは気持ちが悪い。

そこから人間性や悪意や

ときに意味深いものが垣間見えるという点では

会話と同じだし

見ていて不快なものなどは見ないがよろしい。

本当にいやなことっていうのは

口にするのもイヤなんです。

わたしがもうひとつのブログで書くことは

批判的でいじわるなことが多いけど

かといって

批判やいじわるが言いたいわけではない。

話したいこと書きたいことがたまたま素直にそういう風に出ているだけで

書いていて、もしくは話していて楽しいことしか書いてない。

ねえ聞いて聞いて。

程度のことです。

たとえば

わたしは又聞きのみの情報を鵜呑みにして

批判だけをする輩を

心から軽蔑しているけれど

それはあえて書くほどの価値はないと思っている。

 

ということを聞いて欲しくて

今日は書いてみた。

そしてこのことは明日には忘れている。

このネット上に書いている意見など

その程度のこと。

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産んだ女

2012-02-16 | ぼやき

女性の見えないヒエラルキー
もしくは
女性グループ同士の透明な壁として
経産婦かどうかというのがあります。

年齢でいうと25歳くらい
ある程度
人生の道がはっきり見えてきた時から
発生する。

他人と比べての自分を意識すればするほど
とくに三十代前半あたりから
大人の女たちは
その壁にぶち当たったり意識したり
とにかく何かしらの隔たりを感じるようになる。

産んでない女は「これだから主婦はっ」といい、
産んだ女は「子供がいないからわからない」という。

いや、言わなくても
思われているんじゃないか
そういうふうに見られているんじゃないか
そもそもそういう考えが湧いてくること自体
苦しむひとはいるはずだ。

グループが存在していると仮定して
どちらも
分かりあおうという意識がないのは
悲しいことだな。
と思う。
子供がいてもいなくても
社会をうまく機能させるにはどのひとも必要だし
未来永劫、人類が続く為には
それぞれが協力しなくてはいけないのだから
反目しないでちょうだい
というのは
きれいごとでしょうか。

親としてまっとうな子供を育てる責任
などはいったん置いておいて
子どもを産む感覚のみでいうと
いろいろあるけど
結局ただの通り道だと思う。
ひとつの経験値にすぎない。
子どもを産んだことで何かまったく別の人間になったかのような
生んだ瞬間に母性が爆発するようなことを
未熟なわたしは想像していたんですけど。
実際、当たり前のことだけど
自分自身はなんにも変りません。
そのあとだよ
いろいろ見えてくるのは。
要するに対人関係だと思う。
まったくゼロの状態からこの世に出て来た人との
対人コミュニケーションから
母親は学ぶのだ。


処女を捨てたら何か変わるかも。
というのに、ちょっと似てるな。
経験前は大ごとのように感じることでも
意外と小ごとで
大したことなかったりする。
見えている世界が
少しだけ変わる。

だから母親だからって偉いこともないし
産んでないからって卑屈になることもない。

産むだの産まないだの。
うるさいなあ。
と、ちょっと前の(というかだいぶ前?)の
ニュースを見て思っていたことを
今更書いてみました。

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言ってないだけで思っていること

2012-02-07 | ぼやき

すごい雨風でしたね。

こんな日は家に閉じこもってジッとしていたい。

それはそうと

憎しみや悲しみは

受けるダメージが強い分

わりと表現するのも簡単ですけど

笑ったり

幸せな当たり前のこと

って、弱くてうすらボンヤリしているわ。

と考えていました。

そのうすらボンヤリしていることばかり

書いたり言ったりしていると

まるで

自分がうすらボンヤリしている人物かのように

周りからも思われるし

自分でもそう思い込んでくる。

たとえば

私は

選挙に行かないひと

原発に賛成するひと

親を大事にしないひと

払うものを払わないひとを

まったく理解できないし

そんなひとが存在すること自体、不思議と思っている。

だけどそれを言いませんし、

たぶん

ここで初めて書いたくらい

いま初めて言いました。

そして書いたことによって

今まさに自分の思想がくっきりしたことを感じています。

ただ

これからも口に出したりしないでしょう。

これに関しては

ケンカにしかなりえない

と知っているからです。

そのことよりも優先しうることは

ケンカにならないこと

です。

正論を上手に表現できないんだよな。

ぼんやりした幸せなことを

くっきりさせるために

文章を書くことにする。

昨日は怒りすぎたので

その反省を込めて。

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