今日、
仕事で送ったメールを見返していたら
繰り返す必要ない言葉を繰り返していた。
どうぞどうぞ
よろしくよろしく
ますます
などはまだセーフですよね。
私が繰り返していたのは
「添付のとおり」
です。
「添付のとおり、添付のとおり、○○になっていますので
よろしくお願いします」
そんなに添付を押す?
なんであんなになったかな。
書いてないと思って
もう一回書いちゃったんだな。
バカだなあ。
今日、
仕事で送ったメールを見返していたら
繰り返す必要ない言葉を繰り返していた。
どうぞどうぞ
よろしくよろしく
ますます
などはまだセーフですよね。
私が繰り返していたのは
「添付のとおり」
です。
「添付のとおり、添付のとおり、○○になっていますので
よろしくお願いします」
そんなに添付を押す?
なんであんなになったかな。
書いてないと思って
もう一回書いちゃったんだな。
バカだなあ。
週末
我が子の保育園時代のママ友宅に
およばれして
もてなしていただいて
我が子をお風呂に入れてもらって
送迎までしていただいて
いたれりつくせり
でした。
思うのは
いろんな家庭があって
子供は健やかに育っている
という
当たり前の事実だ。
そして
我が家は人を呼べないほど
きたない!
人んち
きれい!
なんとかしなきゃ。
本日、朝、妹に男の子が生まれました。
人。
として、1日も経っていない生物を目の前に
息をのむ。
いつも赤ちゃんを見るとき思うのですが
そこに宇宙があります。
びっくりするほど小さくて、ほとんど動かないのに
目を見張るほどの存在感と生命力にあふれているのです。
完璧で完成されている。
娘は、お茶もお菓子も食べずに
産まれたばかりの赤ちゃんにぴったり張り付いて
目を見開き
頬を高揚させて
じいいいと観察しておりました。
おおお
なんて可愛いのだろう
と、娘と私ふたりで何度も言いました。
自分が母親になったということに関しては
なんだか世間に申し訳ない
という気持ちでいっぱいなんですけど、
こんなすばらしい生命体を産み落とした
お母さん
という存在は
それだけで「えらい!」という気持ちにさせる。
動物的目線で
母は偉大なんだ
それは子という存在が偉大だからだ
と感じた今日でした。
とにかくめでたい。
はりきり発熱。
です。
ウチの子。
頭がくらくらするの。
といっていたけど。
毎日、小学校から尋常じゃないほど疲れて帰ってくるなあ
とは思っていましたが
「体がつらい」
と昨日の夜、訴えてから
高熱を出してました。
そして久々にうなされていた。
風邪のときは基本的に夜も良く寝るタイプだったのだけど
今回はなんか違うな。
そして
朝
「熱だと良い夢って見れないね」
と冷静に分析してました。
大人になったなあ。
子育てがなんたるか
というのは
私には語ることはできませんが
すごく大事なことは
観察
だと子どもができてから知りました。
自分の子供のデータを取る。
行動パターンや
思考回路を理解する前に
事実を蓄積していく。
親は子どものことを良く分かっている。
とは月並みな言葉ですが
良く分かっているよ
だってこんなにもそばで観察しているのだから。
観察者ゆえに
ウチの子が好きそうな服(私にはまったく理解できないこだわり)も
少し苦手な味(数種類のキノコ出汁がたっぷりの料理など)も
もうなんとなく分かる。
そしてそのこだわりが
少しずつ変化している
ということにも気が付いている。
だって、頭のなかでデータを取っているのだから。
今回の熱も、
今までにはない新しい行動パターンがあったので
大事に脳の中にファイリングしておく。
IKEAとは相性が悪いんです。
ただ安いし、デザイン性が高い。
なにが悪いか
というと
システムがやっかいで
その過程で嫌なことが起こります。
組立てが苦手なので
組み立てを頼んだら
あり得ない不器用さで
3時間以上かかったとかね。
やっぱり自分で組み立てたほうが
トラブル少ない。
と判断し
決死の覚悟で
買いに行きましたら
今日はスムーズでした。
スッとレジも通れたし
一回も落とさないで部屋まで運べたし
早速ひとつ作ったら
一か所だけ間違えたけどなんとかできた。
つかれた。
あとふたつ作るんだけど。
そして
今日、スムーズと言いましたが
この机を買うのに
3回ほど足を運んで
時間切れで
投げ出して帰ってきてます。
ふうう。
今日気がついたけど
女性一人で大きな荷物を運んでいるひとは少ない。
大体、家族総出できているのだ。
ため息。