3月27日 土曜日 細切れ東海道 京都市内をまったり走る
大学内をうろうろして、あちこちの建物を覗いてみたのですが、休日なので一部の職員の方しかおらず、ガラガラでした。コンクリート打ちっ放しボロビルの工学部は、これまた綺麗にタイルが張り替えられておりました。上の写真は法学部の存心館です。
自分が学んだ産業社会学部の学而館・文学部の清心館・・・ううう、懐かしい。
図書館は無くなっていて(移転したみたい)、その跡には公園があり、そこで休憩している私。近所の人も散歩で来ております。
工学部と法学部の間には墓地があって、そこには学校の敷地を通らないといけません。それもあって学内は、近所の人たちの散歩コースになっております。
入学した当時は、こんなおしゃれな大学になるとは思いませんでした。あの当時は関西でも学費が安くて有名で、国公立の滑り止めでした。だから学生も貧乏人が多く、新人類の中でうちの大学だけが、タテカン・デモなど学生運動の残滓が至る所にありました。
ですので女子の比率も他大学に比べたら低く、関学の社会学部は5割が女子、うちの大学は3割。文学部は、他大学が7割、うちのは5割。と女子の比率が少なかった。
「産業社会学部の女子は、3割しかいないんですよ」と先輩に愚痴ると、
「何言ってんだ。経営学部は600人中8人しかおらへんぞ」と言われた記憶が。
この日は、卒業生を束ねる校友会に用事があったので、そこに立ち寄りました。
休憩後は学生時代の行きつけの喫茶店「無限洞」を発見しました。35年経っても、まだやっておりました。入ろうか迷ったのですが、そこは小心者で入れません(笑)。
京都は個々の建物は新しくなってますが、街全体がガラッと変わるという事は、他の大都市に比べて少ないという感じ。昔住んでいた大阪なんて、本当に様変わりしてますから。
大学を出て東に向かうと平野神社ですが、花見客でいっぱいでした。さすがに宴会やBBQはおりませんが、シートを敷いて食事をしている家族連れは沢山居ました。
十字屋レコード店は閉店し、嵐電の北野白梅町駅は綺麗になってました。電車が居たら写真撮ってたのになあ。
二条城もドンピシャ桜の満開(笑)。
西大路通りを下って円町近くまで行き、そこから細い小路に入る。大きな道は歩道があって楽なんだけど、車の騒音がひどくて耳が痛い。細い道は落ち着いてて気持ちが良いのだ。
これが大阪との違いなんですよね。大阪市内の住宅密集地の細い道は、言っちゃなんですが「生活保護の匂い」と言うんでしょうか、そういう空気をひしひしと感じてしまう。私は大阪の下町に住んでおりましたが、絶えず「貧困の匂い」「犯罪の匂い」と背中合わせで暮らしてました。
特に「犯罪の匂い」はよく漂っておりました。
住んでいる長屋の裏が文化住宅(アパート)で、深夜にパトカーのサイレンが数台分鳴り響き、怒号が飛び交いガラスの割れる音がして大騒ぎになった。何とその部屋は覚醒剤の売人のアジトで、大捕り物でした。
京都は細い路地でも小綺麗で、そういう匂いが全く無いのが魅力です。ゴチャゴチャしているのは変わりませんが、当時の学生であった私には良い環境だったと思います。
しかし京都市内の古い路地ランニングは、全然飽きませんな。いつも何やら四条通・五条通を通り過ぎて、七条通りまで来てしまいました。
京都駅近くにある有名な建築物、富士ラビットです。大正時代に作られたビル。現在でもテナントが入って使われております。ああ、もう少し。
自分でも今日はよく走りました(笑)。京都駅では高島屋の綺麗なトイレを使わせていただき、パンツから何から全部着替えました(笑)。そこから米原まで新快速、蒲郡まで快速を使い、家に到着したのはかなり遅くです。
走った距離は26キロと短かったのですが、校友会の用事も済みましたので、来て良かったと思います。
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大学内をうろうろして、あちこちの建物を覗いてみたのですが、休日なので一部の職員の方しかおらず、ガラガラでした。コンクリート打ちっ放しボロビルの工学部は、これまた綺麗にタイルが張り替えられておりました。上の写真は法学部の存心館です。
自分が学んだ産業社会学部の学而館・文学部の清心館・・・ううう、懐かしい。
図書館は無くなっていて(移転したみたい)、その跡には公園があり、そこで休憩している私。近所の人も散歩で来ております。
工学部と法学部の間には墓地があって、そこには学校の敷地を通らないといけません。それもあって学内は、近所の人たちの散歩コースになっております。
入学した当時は、こんなおしゃれな大学になるとは思いませんでした。あの当時は関西でも学費が安くて有名で、国公立の滑り止めでした。だから学生も貧乏人が多く、新人類の中でうちの大学だけが、タテカン・デモなど学生運動の残滓が至る所にありました。
ですので女子の比率も他大学に比べたら低く、関学の社会学部は5割が女子、うちの大学は3割。文学部は、他大学が7割、うちのは5割。と女子の比率が少なかった。
「産業社会学部の女子は、3割しかいないんですよ」と先輩に愚痴ると、
「何言ってんだ。経営学部は600人中8人しかおらへんぞ」と言われた記憶が。
この日は、卒業生を束ねる校友会に用事があったので、そこに立ち寄りました。
休憩後は学生時代の行きつけの喫茶店「無限洞」を発見しました。35年経っても、まだやっておりました。入ろうか迷ったのですが、そこは小心者で入れません(笑)。
京都は個々の建物は新しくなってますが、街全体がガラッと変わるという事は、他の大都市に比べて少ないという感じ。昔住んでいた大阪なんて、本当に様変わりしてますから。
大学を出て東に向かうと平野神社ですが、花見客でいっぱいでした。さすがに宴会やBBQはおりませんが、シートを敷いて食事をしている家族連れは沢山居ました。
十字屋レコード店は閉店し、嵐電の北野白梅町駅は綺麗になってました。電車が居たら写真撮ってたのになあ。
二条城もドンピシャ桜の満開(笑)。
西大路通りを下って円町近くまで行き、そこから細い小路に入る。大きな道は歩道があって楽なんだけど、車の騒音がひどくて耳が痛い。細い道は落ち着いてて気持ちが良いのだ。
これが大阪との違いなんですよね。大阪市内の住宅密集地の細い道は、言っちゃなんですが「生活保護の匂い」と言うんでしょうか、そういう空気をひしひしと感じてしまう。私は大阪の下町に住んでおりましたが、絶えず「貧困の匂い」「犯罪の匂い」と背中合わせで暮らしてました。
特に「犯罪の匂い」はよく漂っておりました。
住んでいる長屋の裏が文化住宅(アパート)で、深夜にパトカーのサイレンが数台分鳴り響き、怒号が飛び交いガラスの割れる音がして大騒ぎになった。何とその部屋は覚醒剤の売人のアジトで、大捕り物でした。
京都は細い路地でも小綺麗で、そういう匂いが全く無いのが魅力です。ゴチャゴチャしているのは変わりませんが、当時の学生であった私には良い環境だったと思います。
しかし京都市内の古い路地ランニングは、全然飽きませんな。いつも何やら四条通・五条通を通り過ぎて、七条通りまで来てしまいました。
京都駅近くにある有名な建築物、富士ラビットです。大正時代に作られたビル。現在でもテナントが入って使われております。ああ、もう少し。
自分でも今日はよく走りました(笑)。京都駅では高島屋の綺麗なトイレを使わせていただき、パンツから何から全部着替えました(笑)。そこから米原まで新快速、蒲郡まで快速を使い、家に到着したのはかなり遅くです。
走った距離は26キロと短かったのですが、校友会の用事も済みましたので、来て良かったと思います。
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火曜日の柔術の練習でもつれて相手の体重がアバラに乗ってアバラが折れてしまった、人生初の骨折!!
でもいまはだいぶ良くなりましたはぁ~
昨日のニュースでショックなことが…
古賀さんに続いて東塾長まで
東先生の訃報、まだ71歳、むちゃくちゃショックです。極真時代からファンだったのに・・・
驚きました。お亡くなりになったことも驚きだったのですが、もう少しお若いのかなと思っておりました。
人生80年の時代なので、その意味ではまだまだの方だったと思います。レジェンドさんがお亡くなりになるのは、やはり来ますね。それだけ私も年を取った証拠でしょうか。
なんで骨折してるのにスパーリングするんですか?
と昨日の練習を見て思ってしまいました。
昨日は久しぶりにお会いできて良かった~。2か月のブランクを感じさせない動きでしたね。
空手バカ一代は、小学生当時はパラパラしか読んでませんでした。全巻を読んだのは大学時代に古本屋さんで購入したものからなんです。
子供時代は格闘技にはほとんど興味がなかったので、リアルタイム体験は、残念ながらしておりません。その代わりに、その反動で今が(笑)。
膝が治ったら、彦根~近江八幡間25キロを走ります。彦根城いいですねえ。