ご存知の通り、「語」の発音問題は平成19年に久々に復活し今春まで続いている。その年の問題の中でこの(程度の)問題の正解率が1割に満たなかったのである。
1) abroad 2) approach 3) coast 4) throat
oa の発音(とその例外)は発音とつづりの規則の中でも最も重要で覚えやすいものの一つだ。今年の受験生であればおそらく半分以上は正解できたはずだ。平成19年にこの問題の正解率が低かったのは、受験生が全く発音問題の対策をしていなかったからだ。
これ以降、発音問題は「出る」のが前提になり、全国の高校では再びつづりと発音の関係についてしっかり対策がされるようになり、発音(問題)に対する受験生の意識も上がったのだ。
めでたし、めでたし。 ・・・という結論で本当によいのだろうかという話である。
ここで見落とされがちなのは、「特別な対策を施さなければ、abroadのoaと他のoaの音の違いに日本人学習者が気づくことはない」という事実だ。
受験生の中で、「正しく発音された」abroadを一度も聞いたことがない者はほとんどいないだろう。しかも、それを聞いた際にabroadはabroadとして認識されたはずなのである。それでもなお、abroadのoaが長母音であることに「気づくことができない」のだ。
つまり、abroadとcoastのoaの発音が違うのだという知識があることと、それぞれの語の正しい発音が分かること(聞き分けられること、さらに自分で正しく発音し分けること)とは全く別なのである。
この種の問題で行っているのは、はっきりと明示的に示されない限り区別が容易でない「音の差」を、「知識」によって擬似的に区別させているにすぎない。それが今のペーパーによる発音問題の正体であり、そこから音声指導に関するいくつかの重要なことが透けて見えてくるような気がするのである。
まずはもちろん、つづりと発音の規則の知識について指導するだけでは直接的に発音の改善につながるとは考えにくいこと。
それから、ある言語を母語とする話者が、ある外国語で使われる音を判別する際に、その難易度は「音」によって差があり一様ではないこと。(abroadのような例は実はかなり難しいのではないか? そもそも、abroadやbroadのoaのような例外をきちんと発音し分けることがコミュニケーション力の向上にどれだけ寄与するのか)
そして、単純につづりと音の規則を演繹的に教えることには問題がありそうなこと。(例えば、今回の問題を使うなら、abroad、approach、coast、throatを含む自然な文を聞かせて、その中でoaの発音がどう違うかに注意を向けさせるような指導でなければ、実用的な音声指導にはならないのではないか)
約10年前にテキサスで、韓国人の大学院生による研究発表を聞いたことがある。非常に流暢な英語であったが、observeの発音が明らかにobjerveになっていた。しかし、彼女の発表を理解するのに全く不都合はなかったし、ましてやその事実によって発表の内容が低く評価されてしまうことはありそうにない。
それでも毒まんじゅうを食わされるようなはめになってしまうなら、発音以前の問題を疑ってみる方がコミュニケーション能力のあり方からすれば正しいのではないだろうか。
1) abroad 2) approach 3) coast 4) throat
oa の発音(とその例外)は発音とつづりの規則の中でも最も重要で覚えやすいものの一つだ。今年の受験生であればおそらく半分以上は正解できたはずだ。平成19年にこの問題の正解率が低かったのは、受験生が全く発音問題の対策をしていなかったからだ。
これ以降、発音問題は「出る」のが前提になり、全国の高校では再びつづりと発音の関係についてしっかり対策がされるようになり、発音(問題)に対する受験生の意識も上がったのだ。
めでたし、めでたし。 ・・・という結論で本当によいのだろうかという話である。
ここで見落とされがちなのは、「特別な対策を施さなければ、abroadのoaと他のoaの音の違いに日本人学習者が気づくことはない」という事実だ。
受験生の中で、「正しく発音された」abroadを一度も聞いたことがない者はほとんどいないだろう。しかも、それを聞いた際にabroadはabroadとして認識されたはずなのである。それでもなお、abroadのoaが長母音であることに「気づくことができない」のだ。
つまり、abroadとcoastのoaの発音が違うのだという知識があることと、それぞれの語の正しい発音が分かること(聞き分けられること、さらに自分で正しく発音し分けること)とは全く別なのである。
この種の問題で行っているのは、はっきりと明示的に示されない限り区別が容易でない「音の差」を、「知識」によって擬似的に区別させているにすぎない。それが今のペーパーによる発音問題の正体であり、そこから音声指導に関するいくつかの重要なことが透けて見えてくるような気がするのである。
まずはもちろん、つづりと発音の規則の知識について指導するだけでは直接的に発音の改善につながるとは考えにくいこと。
それから、ある言語を母語とする話者が、ある外国語で使われる音を判別する際に、その難易度は「音」によって差があり一様ではないこと。(abroadのような例は実はかなり難しいのではないか? そもそも、abroadやbroadのoaのような例外をきちんと発音し分けることがコミュニケーション力の向上にどれだけ寄与するのか)
そして、単純につづりと音の規則を演繹的に教えることには問題がありそうなこと。(例えば、今回の問題を使うなら、abroad、approach、coast、throatを含む自然な文を聞かせて、その中でoaの発音がどう違うかに注意を向けさせるような指導でなければ、実用的な音声指導にはならないのではないか)
約10年前にテキサスで、韓国人の大学院生による研究発表を聞いたことがある。非常に流暢な英語であったが、observeの発音が明らかにobjerveになっていた。しかし、彼女の発表を理解するのに全く不都合はなかったし、ましてやその事実によって発表の内容が低く評価されてしまうことはありそうにない。
それでも毒まんじゅうを食わされるようなはめになってしまうなら、発音以前の問題を疑ってみる方がコミュニケーション能力のあり方からすれば正しいのではないだろうか。